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日蓮大聖人・池田大作

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2 大地から生まれた人々  

「希望の世紀へ 宝の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

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7  大地から湧き出た始祖
  そうですね。済州島民の成り立ちについては、定説は確認されていないのですが、大きく分けて、三つのことがらを考慮しなければならないでしょう。
 第一に、開国の始祖に関する神話
 第二に、渡来してきた人々の影響
 第三に、刑罰を受け、配流されてきた人々の影響です。
 このうち、島民の精神のよりどころとなっているのは、何といっても「開国神話」でしょう。
 最も有名なものは、済州島の始祖が、漢撃山が育んだ「大地から生まれた」というものです。
 池田 済州市内の「三姓穴」と呼ばれる史跡のことですね。
 島の「聖地」とも言える場所で、小さな公園のようになっており、木々に囲まれた広場に、ごく浅いすり鉢状のくぼみがあると聞いております。
 伝説によれば、済州島の三人の始祖、すなわち「高乙那コウルラ」「良乙那ヤンウルラ」「夫乙那ブウルラ」が、この穴から地上に姿を現したと言われているのですね。
  そのとおりです。そのため、現在も、済州島では、ヤンの三つの姓が多いのです。
 「三姓穴」の近くには宗廟があり、三氏の位牌が置かれ、三氏族の祭祀を行う事務所まで設けられています。そして、毎年、春と秋に、三つの姓の人たちによる「大祭」が催されるのです。
 池田 遠い先祖を大事に尊びながら、郷土に根づいて、今を力強く生きる人びとの知恵がうかがえます。
  韓国の開国神話の類型は、①天神族説、②地神族説、③天神地神族説、④外来説、⑤卵生説の五つがあります。
 済州島の場合は、二番目の「地神族説」にあたり、これは韓国の他の地域には見られない、独特の説話です。
 池田 韓国以外の地域には「地神族説」はあるのでしょうか。
  台湾と沖縄に伝わっています。済州島と同じく「島」であるところが、興味深い点です。
 もう一つ、中国の少数民族である「苗族ミヤオ」の社会にも、この「地神族説」があるのですが、これは始祖が異なる姓の五人であること以外は、済州島の説話と、あまりにもよく似ています。
 ひょっとすると済州島の「三姓説話」が伝わったものなのか、それとも逆に、苗族の説話が伝わって「三姓説話」の元になったのかは定かでないのですが。
 池田 大変興味深いお話ですね
 私が、仏法者の立場からこの伝説について特に注目したいのは、韓国では始祖の「天神族説」「降臨伝説」始祖ががほとんどなのに、済州島だけは、始祖が「大地から生まれている」としている点です。
 ーーどこか遠い、手の届かないところからやって来たのではない。島の人びとと手をたずさえ、民衆の姿で、大地から「涌いて出てきた」のだーーと。大乗仏教の精髄で説かれる、「地涌の義」にも通じます。
  そうでしたか。
 池田 法華経に出てくる言葉です。
 法華経の従地涌出品には、生命の哲理を世界に弘めて、一切衆生を救済しゆくことをみずから誓願し、地から涌き出でてきた菩薩のことが説かれていますが、これを「地涌の菩薩」といいます。
 「地涌の義」とは、敷衍すれば、壮大な平和運動の担い手が、「生命の大地」「民衆の大地」から使命を自覚して、欣喜雀躍と次々に育っていくことと言えましょう。
 また「地涌」とは、人は皆、平等な尊厳性の大地から生じたことも意味しております。
 人類が差異を超えて、同じ目的観に立って平和を目指すことになるでしょう。
  なるほど、興味深いお話です。我らの始祖を「地涌の菩薩」になぞらえて考えると、島民はことごとく、使命をもった「平和の担い手」となるのですね。
 かつて済州島民を、そのようなとらえ方で見つめた人はいませんでした。
 初めて触れる感動のお話です。
 池田 ありがとうございます。
 ところで、「地神族説」以外に何か別の説はあるのですか。
  二つの「外来説」があります
 一つは、秦の始皇帝の使者・徐市じょふつの一団の残留者が、高、良、夫の「始祖の三氏」であるとする説です。徐市は済州島に、「不老不死」の薬草を探しに来たと伝えられています。
 もう一つの説は、三氏の弓矢に関する説話が、通常、北方系大陸民族の説話に多く登場することと、「高乙那」「良乙那」「夫乙那」という名が高句麗の行政区域であった五部の名称によく似ていることなどから、高句麗系あるいは夫餘ブヨ系の東夷民族の一派が、始祖であるとするものです。
 池田 なるほど。「外来説」は、やや現実的な裏付けを伴っているようですね。徐市については、日本でも「徐福」として、各地に伝説が残っています。「三姓説話」のほうは、ほかにどのような表現があるのでしょうか。
  主要な文献である『瀛州誌えいしゅうし』によると、三氏が地の穴から涌出したことに加え、その外見が立派で、内面的度量は寛大かつ闊達、皮の衣服を着て狩猟生活をし、家業をもつことはなかったと記されています。
 これらの描写もまた、「北方民族である」との主張の元になっているかもしれません。
 一方で、別の文献には、驚くべきことが記されています。
 池田 それは何でしょうか
8  古代史における友好の記録
  『高麗史』の「地理誌」には、地から涌出した三氏は、それぞれ海を渡った「東海碧浪国」とは、三人の王女を娶ったと記されています。
 そして、その「東海碧浪国」とは、『高麗史』の「地理誌」と『星主高氏伝』のいずれにおいても、「日本国」であると明記されているのです。
 池田 すると、済州島を訪れた最初の外来人は、日本人であったことになるのでしょうか。
  そう思います。
 池田 かなり古い時代から、日本という国が、済州島の人たちにとって「身近」であったことがうかがえます。営々として交流が行なわれていたのですね。驚くとともに、大いに感動します。
  三人の始祖たちはその後、矢を放って自分たちの定住地を決めました。その時の矢の「跡」が岩に残ったとされる「三射石サムサソク」も、済州市の北東部にあります。
 こうして栗などの穀物栽培が始まり、今日にいたったとされています。つまり、開国神話自体が、「狩猟社会から農耕社会への変革」を物語っているのです。
 池田 興味深いお話です。
 社会の変革期には、変革にふさわしい、自分たちの成立の神話を作り上げるとも言えます。
  注目すべきことは、有史以後の『三国志』『魏書』「日本書紀』などの中で、済州島は主に韓半島、日本、中国との朝貢関係のなかで登場するのであり、逆にそれらの地域の人が済州島に移住してきた等の記録はまったくないにもかかわらず、開国神話では最初から、「日本から王女を娶った」となっている点です。
 池田 おっしゃるとおりです。
 『高麗史』の成立が比較的新しい時代のものであることや、「神話」の中の「東海碧浪国」が必ずしも日本である必然性はないとの主張などは、「史実」という側面から見れば、当然、考慮しなくてはならないでしょう。
 しかし、ここで大事にしたいのは、完壁な「史実」を追求することではなく、最終的には『高麗史』に「東海碧浪国は日本国である」と記し残されたという「事実」であると考えます。
  そうですね。我らの始祖が、実際に日本から来たのか来なかったのかということは、確認するのはむずかしいでしょう。
 むしろ、我々の祖先が、「済州の始祖が日本人を娶った」と書き残した、その「友好交流の記録」を誇りにしたいと思います。
 また、これこそが、韓日友好の「原点」ではないでしょうか。
 池田 心に深く深く刻まれるお話です。
 そもそも、人間が「国家」を意識し始めたのは、歴史学的には「つい最近」のことと言えます。もともと「領土」も「国境」もなかった。言語の境目も、揮然としていたことでしょう。そこにあったのは、「人間」と「人間」との自然な交流であります。
  そのとおりですね
9  「心を大きくする」教育を
 池田 私が最も感動するのは、この説話を、代々、受け継ぎ、受け入れている、済州の人々の心の大きさです。
 もし日本人に対し、「日本の始祖が『他国から』妻を娶って国を開いた」というたぐいの話をしたら、受け入れがたく感じる人も少なくないでしょう。
 言うまでもなく、貴国の方々はもちろん、中国大陸の人、南方系の人、北方系の人、ざまな地域の民衆が集い、血が混ざり合って形成されたのが「日本人」です。このことは、学問的にも明らかです。
 しかし戦時中、誤った「選民思想」に毒されたゆえに、戦後六十年を迎えようとしている今なお、「偏狭な島国根性」をぬぐい去れない。
 それはともすると、アジアへの偏見となって、しばしば倣慢に、おもてに表れてしまいます。
  日本人と仲良くしたいと思っている多くのアジアの人びとが、共通して心配する点ですね。
 池田 世界市民が時代のキーワードとなるなかで、「明らかであること」「当たり前のこと」を「認められない」のであれば、アジアからも、世界からも、取り残されてしまいます。
 済州島の方々は、「片方の親」を日本人としてくださっているのに、こうした日本の状況は、情けない限りです。
 これではいつまでたっても、貴国との間に真実の友情など築けるはずがありません。
 だからこそ、最も大切なのは教育です。正しい歴史認識も「教育」からもたらされます。
 博士とも、教育についての語らいを重ねてまいりました。
 済州大学と創価大学、慶熙高校と関西創価学園の交流も、その一環ですが、私の生涯の「最後の事業」は、教育だと考えています。
 「本物の人間教育」を取り戻さなくては、日本はどんどん孤立してしまう。「世界平和」といっても、絵に描いた餅になってしまうと、私は思うのです。

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