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日蓮大聖人・池田大作

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輝け 女性教育の幸福城 白鳥の如く希望の大空へ!

2003.12.8 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
3   白鳥会
    耐えて 飛びゆけ
      幸福城へ
 わが短大生は、世界の一流の人格と知性の方々と触れ合う機会も多い。
 一九九二年の十二月、”公民権運動の母”ローザ・パークスさんが、講演会のために、アメリカの創価大学のロサンゼルス分校(当時)を訪れてくださった。
 折しも、語学研修中の短大生が歓迎し、敬意を込めて「母」の歌を披露した。
 パークスさんは、「皆さんの清らかな心根に深い感銘を受けました」と、ことのほか喜ばれたようだ。それが、翌年、私ども夫婦とパークスさんが友情を結んでいく、最初のきっかけとなったのである。
 パークスさんは、短大生との懇談会で語られた。
 「最も尊敬する人は、母です。なぜなら、母は、強い意志をもって『自分の尊厳』を守ることを教えてくれたからです」と。
 女性には、次の世代へ、「人間の尊厳」を教え、「生命の尊厳」を伝えゆく、本然の教育力がある。「女性の世紀」とは、この母たちの教育力が最大に発揮されゆく時代である。
 ゆえに、「女性の世紀」は即「教育の世紀」である。
 そしてまた、ここにこそ、「平和の世紀」の実像もあるのだ。
4   天空に
    勝利の翼の
      白鳥会
 短大のキャンパスには、大科学者キュリー夫人の像が、乙女たちを見つめている。
 彼女の青春時代、愛する祖国ポーランドは、常に理不尽な蹂躙に晒されていた。
 彼女は、身を震わせ、ながら叫んだ。
 「侮辱も自分ひとりに対するものであれば、耐えることもできるし、許すことさえできる。でも祖国に対する侮辱は決して許すことはできない」(スーザン・クイン『マリー・キュリー』1、田中京子訳、みすず書房)
 だからこそ、自分自身が学ぶのだ。力をつけるのだ。
 青春の苦闘のなかで、彼女は誇り高く言い切った。
 「第一原則、誰にも、何事にも、決して負けないこと」(同前)
 そして、その通りの「負けない」人生を生き抜いたのである。
 最愛の夫の、あまりにも早すぎた死をも、彼女は耐え抜いた。さらにまた、嫉妬と陰謀の狂った「言論の暴力」にも、断じて屈しなかった。
 崇高・な使命を帯びて、人間の幸福のために戦う人びとの人権を侵すことは、犯罪に等しいと、彼女は毅然と胸を張って訴え続けたのである。
 「私たちはきっと勇気をもちつづけるでしょう。雨のあとは、きっと晴れというしっかりとした希望をもっていなければなりません」(『母と娘の手紙』西川裕子訳、人文書院)
 キュリー夫人が娘を励ました手紙の一節である。
 実験のフラスコを掲げた彼女の像は、わが短大生に、何ものにも負けない勇気と希望を、いつも語りかけている。
5  著名な社会運動家で、米国人女性として初のノーベル平和賞を受けたジェーン・アダムズは、女子の寄宿学校に学んだ時、友情を結んだ同学の友と誓い合った。
 それは、「若き日の理想に永遠に忠実であること」。(『ハル・ハウスの20年』柴田善守訳、岩崎学術出版社)
 そして「自己のからにとじともらないように」(同前)励まし合うこと等であった。
 短大生の高貴な友情にも通ずると、私は思ってきた。
 光栄にも、私が名誉創立者に、妻が名誉学長に就任させていただいているインドの創価池田女子大学も、明年一月、第一回の卒業式が行われる運びとなっている。
 「白鳥会」には、「理想」を共にする麗しき姉妹が日本中、世界中にいる。
 この姉妹の心の連帯が、やがて壮大な平和の大地になっていくことを、私は晴れやかに確信する
 短大の二年間は、短いといえば短い。しかし、”グ青春の二歳”は、十年、二十年を凝結した輝く生命の宝だ。青春の鍛えも教養も、そして友情も、一生の力となる。
 明二〇〇四年から、学科も新たに「現代ビジネス学科」「英語コミュニケーション学科」へと発展する。
 そして明後二〇〇五年には、短大は開学二十周年を迎えるのだ。
 新「朝風寮」の建設も進んでいる。
 いよいよ”創価の白鳥”が二十一世紀の大空へ、汝自身の幸福と平和の世紀へと、颯爽と舞いゆく時だ。
  晴は晴れと
    女性の世紀の
      先駆をば
    勝利で飾れ
      一人も残らず

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