Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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創価の永遠の都 正義の大関東よ 断じて勝て

2003.11.2 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
7  それは、一九七八年(昭和五十三年)の二月の関東本部長会でのことである。
 私は、信仰の喜びと使命を和歌に託し、"広布の万葉集"として、後世に残すことを提案した。有名な『万葉集』を彩る、関東の歌ともいうべき「東歌」のことが念頭にあったからである。
 この五年前、私は、埼玉の上尾で行った県幹部総会で、東歌に触れ、埼玉をはじめとする「東国」の豊かな底力を讃えていた。ここ埼玉はもちろん、伊香保、武蔵野、常陸……今に続く地名とともに、東歌からは、東国の大地に生きる庶民の実像が、千二百余年の歳月を超えて鮮やかに立ち上ってくるのであった。
 人間の真実の声ほど力強いものはない。生き抜く民衆の叫びほど不滅なものはない。
 私が"広布の万葉集"を提案した当時、埼玉をはじめ全関東の各地でも、わが学会員の発言をいちいち監視するような、陰険な坊主たちの言動が目立ち始めていた。
 恐るべきことである。考えもしなかったことである。後世の歴史家が、必ずやこの悪逆極まる坊主の恩知らずの行動に対して、鉄槌の文字を書き残していくであろう。
 「坊主が何と言おうと、我らは、学会のなかで仏法に出あい、信心の偉大さを知ったのだ!」
 これが、わが同志の生命の底からの実感であった。
 関東の本部長たちは、その歓喜と感謝を和歌に託し、率直に表現していった。それが「広布万葉の譜」に結実したのである。
 学会は正しい! 学会に仏法の真実がある!
 邪悪な、陰険極まる嫉妬の本性を暴露した坊主どもに対して、我らの正義の勝鬨の大反撃は堂々たるものであった。その誉れの先駆の道を開いたのが、わが大関東であったのである。
 我らの「敢闘精神」とは、何ものをも恐れぬ師子王の心である。
 人間は、誰しも未知の領域に足を踏み入れることに躊躇するものだ。「もう限界だ」「もうこれでいい」と感じる地点がある。だが、そこで逡巡しては何も生まれない。
 恐れるな! 臆病の壁を破れ! 限界かと思う壁に突き当たった時が、本当の勝負だ。そこに、赫々たる勝利が待っている。
 師子王の生命には、さらに創価の師弟には、絶対に行き詰まりはないのだ。また、あってはならないのだ。
 「敢闘」とは、「敢えて闘う」と書く。「敢えて」挑戦するのだ。「敢えて」一歩を踏み出すのだ。そこに、豁然として、大平野の如く自分の境涯が広がっていくことを忘れまい。
 三世の生命を、勝利と栄光で飾りゆく、わが大関東の同志たちよ、さらに愉快に、一歩前進して、大いなる完勝の歌を、栄光の歌を、歌いゆこうではないか!

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