Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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正義の庶民の理想郷 東北の人材の大城は厳然たり

2003.10.18 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
6  東北のあの町からも、この村からも、「わが地域の環境は目覚ましく変わっています」という喜々とした声が、次々に届く時代となった。
 共鳴と理解が広がるその陰に、どれほど誠実な、どれほど真剣な、どれほど勇敢な、そして、どれほど辛抱強い、東北の友の努力があり、奮闘があったことか。私たちの胸には、熱い感動の鼓動が高鳴る思いがする。
 御書には、「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」と仰せである。
 まさしく、東北の賢者の「人の振舞」こそが、増上慢の坊主どもの勢力をも圧倒し、今日の晴れ晴れとした勝利の上げ潮をもたらしたと、わが同志たちを、私たちは心から讃えたいのだ。
 かつて東北地方を訪れた、あのアメリカの社会福祉家ヘレン・ケラーは言った。
 「さらけ出そうと努力しても、さらけ出すことの出来ないほど美しい感情、雄々しい力、立派な人格、それらのものを私達は真実(ほんとう)に自分の内部に持っている」(『私の宗教』岩橋武夫・島史也訳、『ヘレン・ケラー全集』所収、三省堂)
 この人間の真髄の光彩を放っているのが、東北の同志だ。
 さらに法華経には、「三変土田」という、この現実の娑婆世界を浄化していく原理が説かれている。その変革の根源の力は、いずこにあるか。
 天台大師は、それは揺るぎない不動の一念にあると示されている。
 いかに迫害されようとも、微動だにしない。
 いな圧迫されればされるほど、いよいよ強くなる。
 この日蓮仏法の金剛不壊の大信念に生き抜いているのが、わが学会なのだ。
 その柱こそ、東北である。
 大聖人は記されている。
 「日蓮は、幕府の実権者の弾圧を二度も蒙り、すでに頸の座にすえられたけれども、少しも恐れなく法華経を弘め続けたので、今は日本国の人びとの中にも、『日蓮の言うことが道理かもしれない』と言う人もあろう」(御書一一三八ページ、通解)と。
 蓮祖に直結の学会も、この御聖訓通り、難があるほど猛然と、立正安国に邁進した。だからこそ、これだけの世界広布の大発展となったのだ。なかでも、東北は、極悪の邪宗門から離脱した正法正義の寺院も七カ寺あり、全国で随一である。
7  一九五七年(昭和三十二年)の冬から春にかけて、聖教新聞に、私が東北と北海道の青年部への期待を語った記事が連載された。"北日本の青年に贈る"という企画であった。
 そこで、私は、北国の青年たちに「電光石火で行動せよ!」「自信を持て!」「愉快に行け!」「東天から昇る旭日のごとき心で進め!」等と語ったことを覚えている。
 戸田先生は、若き弟子たちと共に青葉城址に立たれ、「学会は人材をもって城となすのだ」と言われた。
 私は、その意味を深く噛み締めながら、北日本の青年に、「一にも人材、二にも人材、三にも人材を輩出することに全力を!」と強く申し上げたのである。
 青葉城の誓いから、明年で五十年。わが東北の人材城は盤石となった。
 恩師は、草創の仙台支部が、なぜ、偉大な成果をあげたか、三点にわたって賞讃された。
 第一に、「師弟の精神」を根幹として行動している。
 第二に、指導者に絶対の確信の学会精神が漲っている。
 第三に、個人指導が徹底され、機関紙が活用されている。
 この東北の誉れの伝統は、不滅だ。
 思えば、十四年前の五月、東北は七百七支部の陣容であった。それが今、九百七十七支部に躍進し、さらに千支部へ向かって、輝く「東北革命」が、静かに、力強く進行している。
 平成六年(一九九四年)の三月二十一日、素晴らしい晴天のもと、新築なった東京牧口記念会館に、東北全県から千七百五十人の同志が集ってこられた。
 この日、私たちは、仏法の真実を、ありのままに叫び切っていく「随自意」の勇気を、深く確認しあった。
 永遠に、学会は、誇り高き、学会らしく、多くの邪義に対して大破折の精神を燃え上がらせながら、異体同心で広宣流布に戦い進んでいくことを、深く強く誓い合ったのである。
 ともあれ東北は、この学会精神の真髄で、すべてを勝ってきた。そして、これからも、永遠に勝ち抜いていくのだ。
 愛する東北の友に、私は、再び、魯迅先生の言葉を贈りたい。
 「苦しみに耐えて進撃する者は前へ進み、すでに革命した広大な土地をあとに残していく」(「滬寧奪回祝賀のかなた」須藤洋一訳、『魯迅全集』10所収、学習研究社)と。

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