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日蓮大聖人・池田大作

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「平和の園」関西創価学園 常勝の人生 自他共の幸福を築け

2003.5.9 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
5  一九八六年(昭和六十一年)の五月四日、私は何人かの関西の同志と共に、江戸後期の蘭医学者・緒方洪庵が開いた私塾「適塾」を訪れた。(以下、適塾記念会編『緒方洪庵と適塾』を参照)
 古い町家のたたずまいもそのままに大阪・北浜に残る、この史跡には、師弟の魂を刻印した"宝"がある。
 洪庵三十四歳の時から二十年にわたり、塾生の氏名、出身地、入塾年月日が連綿と記された「姓名録」である。
 福沢諭吉、大村益次郎、橋本左内、佐野常民など、幕末・明治の新時代に活躍した錚々たる"同窓生"の名簿は、その数六百三十六人――全体として西日本出身が多いが、関東、東北、遠く北海道出身の塾生も含まれている。
 まさに日本中からこの学塾に来り、師匠のもとで学び、人のため社会のために尽くさむと、雄志を抱いて巣立っていったのである。
 この適塾の「姓名録」から、私は創価同窓の絢爛たる未来を思い描いた。ともあれ、師弟の道を貫き通した人生は、なんと尊貴な輝きを放つことか。
 私は、修学旅行で東京に来た関西小の児童たちを歓迎した折、日本を代表する写真家である白川義員先生の言葉を紹介したことがある。
 「一度、恐怖におびえた人間は、使えない」
 「泣きながらでも、ついてきた弟子は、みんな立派になっています」と。
 厳しい一言であるが、雨の日も風の日も、「負けじの階段」を毎日通い抜いてきた頼もしき児童たちに、真実の師子の生き方を打ち込んでおきたかったのである。
6  ロシアの大詩人プーシキンは、母校の同窓の連帯を誇り高く歌った。
 「わが友よ、我らの連帯は素晴らしい。
 魂の如く、不二であり、永遠――
 揺るぐことなく、そして自由闊達。
 我らの連帯は、友情の調べに包まれ、育まれたのだ。
  …… ……
 運命が、いずこに我らを流そうとも、
 幸運が、いずこに我らを導こうとも、
 我らは変わらない」(А・С・ПУШКИН : СОБРАНИЕ СОЧИНЕНИ И, Tom2, ХУДОЖЕСTВЕННАЯ ЛИTЕРАTУРА)
 わが関西学園の卒業生の「金星会」「蛍会」「創光会(関西創価小の卒業生)」の友情は、世界最強の麗しき連帯であると讃える人は少なくない。
 同窓生の目覚ましい活躍の様子は、私のもとに毎日毎日、伝わってくる。学園主事をしている息子の尊弘から聞き、また多くの先生方から、つぶさに伺ってもいる。
 ああ、懐かしき園子たちよ! わが愛する学園生よ!
 たとえ会えなくとも、私は、妻と共に、いつもいつも祈っている。いな、一日として祈らざる日はない。
 一人ももれなく健康で幸福であれ! 一人も残らず栄光勝利の人生であれ! と。
 交野と枚方の学舎から日本全国へ、世界のありとあらゆる使命の前線へ!
 私の胸には、関西学園生の壮大なる飛翔の姿が、晴れ晴れと限りなく広がる。
 今や完壁に、君たちが二十一世紀の大関西を担い立ち、さらにまた貴女方が日本列島を揺り動かし、そしてまた、皆さんこそが全世界へ新しい常勝の大波動を巻き起こしゆく、希望の時代に入った。「関西創価」の使命は、いやまして深く、大きい。
 スイスの大哲学者ヒルティは、人類にとって貴重な人間とは、自己の弱さと戦い勝った人びとだと言った。
 "人はそうした戦いと勝利を重ねるたびに、いよいよ気高く、いよいよ練達となる"(秋山英夫訳編『希望と幸福』社会思想社、参照)
 私は、関西同窓のわが友に彼の言葉を贈りたい。

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