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日蓮大聖人・池田大作

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「大学新聞」の使命 学び抜け 叫び抜け 若き言論王よ

2003.4.29 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

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5  「これからは言論の時代である。新聞が第一の武器だ」
 かつて、わが師・戸田先生が言われた鋭き言葉が、今も私の耳朶を離れない。
 それは、一部の権力者やエリートたちではなく、「無名の庶民の声」「民衆の正義の言論」が社会を動かし、歴史を動かす時代が必ず来るという予見であった。
 その先生と私の手づくりで創刊した「聖教新聞」も、今や堂々たる「正義の言論城」となった。本当に嬉しい。これからも永遠に発展させていく決意である。
 ともあれ、若き日に、言論の力をつけることは、自身の成長のために、どれほど大きな訓練となることか。
 私も二十代の時、戸田先生のもとで、様々な編集作業に携わりながら、あらゆる書物を読み、思索を重ね、書いて書いて書きまくった。
 あの「大阪事件」の前後、嵐の渦中にあっても、同志を励ましたいと、聖教新聞にバイロンやべートーベンの随筆を綴ったことも懐かしい。
 七十五歳になった今も、私は、懸命に戦っている。何倍、何十倍、いな何百倍も、書き、叫び、正義の言論で戦い続けている。
 ゲーテは七十五歳の時、自らの人生を振り返って、こう語った。
 「苦労と仕事以外のなにものでもなかったのだよ。七十五年の生涯で、一月でもほんとうに愉快な気持で過ごした時などなかった」(エッカーマン『ゲーテとの対話』上、山下肇訳、岩波文庫)と。
 戦った人間の言葉である。偉大な人生は、苦闘であり、死闘である。それであって、しかも、生き抜いた生命は明るく、朗らかだ。
6  本来、言論の戦いは、自分のいる、その場所でできる。
 ペンと紙、たったそれだけで、権力者さえ震え上がらせた言論の闘士は少なくない。
 ユゴーがそうだ。ゾラがそうだ。魯迅がそうだ。ソクラテスに至っては、ペンさえ持たず、ただ対話、対話、対話のみの戦いだった。
 さあ! 自分の頭で戦い、口で戦い、字を書く手で戦うのだ。息ある限り、声をあげ続けるのだ。根本は、正義を叫ぶ勇気と情熱があるかどうかだ。
 わが学生諸君もまた、若き真実の言論王たれ! 民衆を守る正義の雄弁王たれ! と私は熱願する。
 アメリカの哲人エマソンは言った。
 「廃れることのないことを語り、書く方法は、本気で語り、書くことだ」(『エマソン選集』2、入江勇起男訳、日本教文社)

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