Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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山形の希望の春 叫べ雄々しく! 走れ奔流の如く

2003.3.21 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

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6  ギリシャの劇詩人エウリピデスいわく、「無数の苦難があってこそ素晴らしいことは生まれる」(「アルケラーオス」根本英世訳、『ギリシア悲劇全集』12所収、岩波書店)
 一九八三年(昭和五十八年)の四月、私は新潟から山形に向かった。前回の訪問から、無量の歴史を刻印した九年間を重ねていた。
 川は青く澄み、木々は緑に輝き、山に残雪が白く光る。そして、レンギョウ、ユキヤナギ、スイセン、桜……列車の窓に映る北国の山河は、爛漫の春を迎え、喜びに沸き立っているように思えた。わが山形の同志のごとくに。
 皆様方も覚えてくださっているだろう。庶民の大英雄が喜び集った、二十年前のあの県総会を──。
 私は仏法の「桜梅桃李」の原理に触れ、ここに民主主義の真髄があると訴えた。
 桜は桜として、梅は梅として、自らの使命がある。人間にも、かけがえのない個性があり、尊い使命がある。
 だがそれは、漫然と生きていたのではわからない。自身の課題と向き合い、人間革命を願って戦うなかに、宿命即使命の昇華があるのだ。
 さらに、民衆一人ひとりが社会建設の主人公となっていかなければ、民主主義は形式にすぎない。そこに、民衆を強くする、偉大な宗教が要請されるゆえんもある。
 どこまでも、民衆あっての民主主義社会である。民衆を侮蔑し、民衆の信仰を迫害するような権力者は、民主主義への冒涜であり、天に唾する狂態に等しい。
 ともあれ、特権階級ぶった一部の人間が、民衆を睥睨してふんぞり返る、古い時代はもはや必要ない。社会で必死に生き抜く庶民が一番偉いという、「人間の理想郷」を創らねばならない。
 東北有縁の文豪・魯迅は、”暗き時代に本気で生きたければ叫べ”と言った。
 「何よりもまず、思いきってしゃべり、笑い、泣き、怒り、罵り、闘い、このいまわしい場所から、いまわしい時代を撃退すべきである」(「思いつくままに」竹内好訳、『魯迅文集』3所収、筑摩書房)
 そうだ! 思いきって叫ぶのだ。その凛々たる正義の声が、悪を撃退し、希望の新時代の扉を開け放つ。
 叫べ、叫べ、正義の山形の同志よ! 日本第一の民衆の「幸福王国」たれ! 愛する我らの大山形よ!

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