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日蓮大聖人・池田大作

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昇りゆく千葉の旭日 今を勝て! 正義の剣を振るえ

2003.3.13 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

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4  千葉県は今、東京と一体となり、大首都圏の旭日として発展し続けている。人口も昨年、六百万人を突破した。
 その半面、新興の住宅地等では、都心での勤務が生活の大半を占める人が多い。どうしても近隣の人間関係が希薄になりがちなことが、地域の課題となってきた。
 もちろん、限られた時間を必死にやりくりし、地域貢献と近隣友好に努めておられる同志も少なくない。
 そのなかで、今、定年を迎えるなどして、昼間動ける壮年による「敢闘会」の皆様方が、地域の太陽・婦人部も目を見張る大活躍をされ、地域広布の大きい推進力となっていると伺った。”千葉発”のニューパワーである。
 庶民の智慧ほど偉大にして賢いものはない。学者よりも政治家よりも賢明だ。
 新しい発想が、新しい力を引き出す。我らの千葉には、新しき”何か”を生み出す土壌がある。
 二百年ほど前、初めて正確な日本地図を作った伊能忠敬も千葉の出身だ。
 九十九里に生まれ、佐原の名家を再興した彼は、五十歳で江戸に出て測量技術を学び始めた。五十五歳の時、幕府の許可を得て、蝦夷地の測量に出発。以来、二十年もの歳月を「大日本沿海輿地全図」の作製に捧げていった。
 真に偉大な事業は五十代、六十代からが勝負だ。
 学会が創立された時、牧口先生は五十九歳。戸田先生が第二代会長に就任されたのは五十一歳であった。私が、名誉会長になったのも五十一歳の時である。
 ともあれ、円熟の年齢に至ってなお、いよいよ胸に燃え続ける大情熱こそ、本物ではあるまいか。壮年部が燃え立つならば、婦人部も、男女の青年部も、安心する。いな、全軍が炎となって猛然と奮い立つことは間違いない。
 伊能忠敬は、後半生のすべてを賭けて、自身の夢の完成のために、日本中を歩きに歩いた。その距離は実に四千万歩ともいわれる。
 広宣流布も行動で決まる。
 自ら動いた分だけ、歩いた分だけ、語った分だけ、わが地域の”平和の地図”は拡大する。祈りに祈り、心を砕いた分だけ、”幸福の地図”は光を放っていくのだ。
 さあ、我らは、正義を叫びに叫び、戦いに戦い、断固として勝って、「立宗七百五十周年」の四月二十八日の佳節を飾ろう! そして、栄光燦たる五月三日を必ず迎えていこうではないか!

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