Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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創価大勝の出発 わが地域こそ広宣流布の最前線

2003.1.6 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

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1  元日の朝、わが同志である大切な皆様のご健康とご活躍とご長寿を祈念させていただいた。
 この厳粛なる祈りは、一生涯、続けてゆく決心だ。
 今年の末も、皆で楽しげに、人生勝利の歌を歌おう!
 君と私どもは、高遠な交わりをなす、正義の剣をもった同志だ。
 胸に温めた汝自身の決意と希望と快勝の歴史を、永遠に残すのだ。
 そこには、後世の審判に恥じぬ、尊い魂と正義の旗が三世に翻ってゆくであろう。
 本年もまた、満ちあふれた誓いの胸を鼓動させながら、誇らかに栄誉の歌を歌い進むのだ。
2  この一月二日、満七十五歳の誕生日を、全世界の同志と共に、晴れ晴れと迎えることができた。
 私は、七十歳から書き始めたこの随筆の第一回に、わが人生を展望し、八十歳までの目標を、「世界広布の基盤完成なる哉」と記した。「光陰矢の如し」で、それから、はや五年が過ぎ、七十代の折り返し地点に立った。
 私は、自らの目標を果たすために、わが同志のために、力の限り、生命の限りと、決意している。
 思えば、あまりにも偉大な、わが師・戸田先生は、大森の山王の私の小さなアパートにも来てくださった。
 結婚を決める時には、実質の仲人である先生が、わが実家にも来てくださり、父親たちと親しく懇談してくださった。
 懐かしき深い思い出は、私の最極の誇りとして刻まれ残っている。
 さらに結婚式を前に、先生は、市ヶ谷にあった学会の旧分室の近くに双方の親を招いて、顔合わせをしてくださった。
 その折、先生は、「大作は、私の側で、あまりにも働きすぎた。苦労をしすぎて、全神経を使いすぎてしまった。どうも、三十歳までしか生きられないかもしれない」と落涙された。
 その私が、このように「更賜寿命」の生命力で、初代・牧口先生が殉教された七十四歳(数え年)の年齢を越えて、広宣流布の指揮をとっていることも、恩師もどれほど喜んでくださっておられるか。
3  世界の広宣流布といっても、その根幹は、確固不動なる模範を、日本に築き上げることから始まる。
 この日本に、仏法の人間主義を基調とした、民衆の大平和勢力を、なんとしてもつくり上げねばならぬ。
 いかなる攻撃の嵐、また、嫉妬と中傷の波浪があろうとも、断固として築き上げねばならぬ。それが、永遠に勝利しゆく不壊の道であるからだ。
 ゆえに私は、今年もまた、断固として厳然と戦い抜く決心である。
 私は昭和三年(一九二八年)生まれだが、皆様もご存じの通り、牧口常三郎先生と戸田城聖先生が、日蓮仏法と出あい、入信されたのも、昭和三年であった。創価学会創立の二年前のことであった。
 したがって、本年は両先生の入信七十五周年となる。
 牧口先生は三十二歳の時、独創的な大著『人生地理学』を発刊された。本年は、それから百周年にもあたる。
 先生は力強く主張された。
 ──私は狭隘な国家主義の一極端には偏らない。また、空虚な博愛を説く世界主義にも陥らない。はたまた、浮薄な批評家の真似事をするつもりもない。
 最も大切なことは、各々が自らの郷土を見つめ、正しく理解すること(=郷土観察)である。そこから出発して初めて、自分が何をなすべきかが明確になり、世の中のさまざまな闘争に必勝でき、そして世界の共生の舞台をリードできるのである、と。(『牧口常三郎全集』1所収、第三文明社、参照)
 なんとすばらしき師の言葉であろうか。
 青春時代、最初に、この一書を持読した時に、私の鼓動は、火が燃えるがごとく、胸中を感動させた。
 郷土とは、自分が今、生活している地域のことである。
 生活の大地を離れて、人間の人生はありえない。
 高層ビルが林立する大都会の、あの人工の絶壁の淵にも、庶民の力強き暮らしがある。雪深い北国でも、若々しい魂を持つ人びとが朝の光に照らされながら、生き抜いている。
 椰子の葉茂る楽園のような南国でも、そしてまた、夕焼けに包まれた荘厳にして美しい田園にも、人びとは来る日も来る日も動き働いている。
 あの山村にも、そしてあの港町でも、さらには下町にある町工場にも、そして威勢のよい売り声の商店街にも、ありとあらゆる場所で、庶民は心をおののかせながら、懸命に生き抜いている。
4  仏法の智慧は教えている。
 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野せんごくこうや皆寂光土みなじゃっこうどなり
 人間として、いずこにあっても、大きな深い目的を忘れてはならないという、深い意義が孕まれている御聖訓だ。
 いかなる苦悩の天地にあっても、いかなる厳しき戦いの大地にあっても、絶対に不幸に揺り動かされることなく、君のいる、その場所で生き抜き、戦い抜き、勝利してゆくことだ。そこにこそ、尊き仏の寂光土があるというのだ。
 すなわち、我々が生き抜き、戦い抜く、ありとあらゆる地域は、皆、光輝満つる宝土となるのだ。
 貧しくとも、苦しくとも、わが家を、至福の境涯と和楽の笑顔の家庭へと、力強く転換させていくのが、妙法の法理であるのだ。また、その事実の結果を力強く出しゆく使命と責任ある信心をせよと、仰せであられる。
 わが生命は一念三千の当体である。すなわち、衆生の世間も、国土の世間も、すべてが自分自身の生命に納まっているのだ。
 私たちは、三世永遠にわたって「人と人の関係」「人と環境の関係」のなかでのみ生きていくことができる。その関係性がどうかで、人は幸福を感じもするし、苦しみや悩みも生じてゆくものだ。
 だがしかし、今は苦悩の連続の人生であっても、必ず善の方向へ、幸福の方向へ、変化させてゆける大法則が、真の仏法であり、信心であることを忘れまい。
 諦めは人生の敗北者。生き抜く力を持った仏法者は、幸福の勝利者である。
5  いずこの地であれ、ご近所の方々と、地域の方々と、本当に胸襟を開いて仲良く暮らせたら、どれほど幸福か。それは万人の願望ではないだろうか。
 日蓮大聖人は、一人の門下に対して、「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」と励まされている。
 私どもの身近なところでは、向こう三軒両隣が「其の国」にあたろうか。わが近隣こそ、御本仏から任された広宣流布の最前線といえる。
 広宣流布とは、自他ともの幸福の建設である。独りよがりの幸福はない。共存共栄していく智慧が仏法だ。わが同志は、それぞれの地域の、誇りも高き「幸福の責任者」である──と言っていた指導者がいる。
6  十数年前、ブラジルの北パラナ地方のある町で、看護師をしていた青年が、学会に入会した。家族が猛反対するなか、町でただ一人、信心に励んでいった。
 青年の熱心な仕事ぶりに、同じ病院に勤める女性医師が感銘する。会合にも参加し、仏法への理解を深めた彼女は、いつの日か、SGIのすばらしさを顕彰したいと語っていた。
 昨年十一月、ブラジルのジャタイジンニョ市が、市の最高栄誉の「ジャタイ褒章」を私に贈ってくださった。同市の小学校では、「牧口教育プロジェクト」も実施されている。
 授章式の席上、サンチェス市長はこう語られた。
 「私の知っているブラジルSGIの方々もまた、一人立ち上がった池田博士と同じ目的に向かって戦っています。そのことは、わが市でも証明されています」
 その市長こそ、かつての女性医師であった。一人の青年の大誠実の行動が、大きな信頼の大輪となって開花したのだ。
7  アメリカの著名な社会運動家で、大統領夫人のエレノア・ルーズベルトは、近所づきあいについて、こう言った。
 「自分が受け入れてもらいたかったら、自分のほうも受け入れる用意がなくてはならない。奥深くて捕えにくい共同社会の精神にはいり込むには、外形だけでなく内面的にも参加するという熱意を示さなければならない」(『エチケット』坂西志保訳、白水社)
 その意味で、婦人部の皆様の存在が、どれほど頼もしいか。まさに地域広布の鑑である。
 わが地域を、親愛の心をもって歩くことだ。近隣の方々と挨拶を交わし、積極的に関わっていくことだ。この姿こそ天使である。
 中国革命の最中、周恩来総理夫妻がモットーにされたのは、「司令官であろうと、一兵卒であろうと、自分がいま居る場所で全力を尽くす」(西園寺一晃『鄧穎超──妻として同志として』潮出版社)ということだった。
 大切な仏子の君よ、わが地域で、自分が今いる場所で勝利してくれ給え!
 あの地、この地に轟き渡る勝鬨から、真の民衆の大勝利の世紀が始まりゆくからだ。

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