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日蓮大聖人・池田大作

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会場提供の福徳の大長者 皆様こそ! 広布の金字塔の礎

2002.11.2 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

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5  大聖人は仰せである。
 「法華経を持ち信ずるよりほかに真実の遊楽はない。
 法華経に『現世は安穏にして後に善処に生ず』とあるのは、このことである。世間のさまざまな難が来ても、相手にしてはいけない」(御書一一四三ページ、通解)
 会館が少なかった草創期、支部、地区の拠点ともなれば、四六時中、学会員が出入りすることも珍しくなかった。一緒に折伏してくださいと、友人を連れて来る人もいる。深刻な悩みをかかえて、戸を開ける人もいる。
 何人もの友が涙で宿命転換を誓った、あの六畳間。幾重にも広布の金の思い出を刻んだ、あの小さな家……まさに慈悲の心に包まれ、人を救う仏の仕事を為しゆく、法華経に説かれる尊き「如来の室」にほかならなかった。
 拠点のお母さんに、食事などのお世話になった青年たちも数知れないであろう。子どもたちのいる場所がなくなり、部屋の片隅や廊下に机を置いて勉強していることもあった。
 私は、拠点のお宅に伺った際、お子さん方にも声をかけ、励ますことを心がけてきた。
 今は個人のプライバシーを重んずる時代であり、個々のご家庭の状況をよく理解していただきたい。
 そのうえで、連絡・報告を密にし、めりはりのある離合集散の活動のリズムをつくりながら、皆が何でも話し合える「仲の良い組織」を育んでいくことだ。「学会家族」という、生き生きとした「異体同心の団結」がある限り、広宣流布の未来は盤石である。
 法華経には、求道の友のために親切に座を分かつ人は、その功徳によって、梵天帝釈の王座、そして転輪聖王の玉座を得ることができると示されている。(法華経五二一ページ)
 また御書には、「家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せん」と引かれている。
 さらに、「法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし」とも説かれる。
 拠点のご尊家には三世永遠にわたる大福運が積まれ、一家眷属から、生々世々、偉大な人間王者が巣立ちゆくことは、仏法の因果の理法に照らして間違いないのである。
 今や全国に千百三十数会館があるが、わが地域に根ざした、本部・支部・地区・ブロック、また婦人部のグループなどの活動の舞台は”個人会場”であり、さらには一般のご家庭である。
 親しき仲であっても、礼儀と感謝を忘れては絶対にならない。「お世話になります」「ありがとうございます」と挨拶するのは当然である。未入会のご家族がおられる家庭もある。どんなに大きな心で、ご協力くださっていることか。最大に感謝し、賞讃していくべきである。
 乳幼児や受験生がいるのに、幹部が遅くまで居座るようなことがあってはならない。また、子連れで会合に行かれる婦人部の方も、大切な躾として、子どもの行動によく気を配っていただきたい。
 さらに、駐車の問題も重要だ。車なしには活動の難しい地域もあり、一律にはいえないが、拠点の方々の側に立ち、住宅街等では、車の使用は控えるべきであろう。自転車やバイクを置く場合も、近隣に決して迷惑のかからないよう注意していただきたい。
 さらに、会合終了後、外に出たら大声で話さない。とくに夜の場合は、厳禁である。
 ともあれ、「対話拡大」「友情拡大」の最先端で、真心を尽くしてくださる会場提供者の方々が絶対に苦しまれることのないように、とくに幹部は、細心の上にも細心の配慮をお願いしたい。
6  「有り難い」という感謝を忘れ、「当たり前」のように錯覚する慢心が、真心に支えられた団結を傷つけ、信頼を壊してしまう。これまでの退転反逆者らが、拠点などで倣慢無礼な態度をとり、皆に嫌な思いをさせたことは、共通して指摘される点だ。
 大聖人は、南条時光の変わらざる信心の真心に対して、”これを、いつものこことして驚きもせず、珍しいことでもないと思ってしまうのは凡夫の心である”と、自らを戒められるかのように鋭く記しておられる。(御書一五二一ページ)
 蓮祖の御心は、たとえ常のことであっても、当たり前と思つてはいけない。どれほど大変ななかで心を尽くしておられるのか、断じて絶対に忘れてはならない、と。
 そして、時光の信心を「尊しとも申す計りなし」と最大に賞讃しておられた。
 この仰せと同じ心で、会場提供者の皆様に、私たちは、最大に感謝申し上げるものである。
 私は、「福徳の大長者に栄光あれ! 勝利あれ!」と、声を大にして叫びたい。

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