Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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若き広布の指導者・創価班 不二の師弟ある限り無限の大前進

2002.9.23 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
3  この忘れ得ぬ歴史的な第一回総会の冒頭、創価班の「一期生」の凛々しき若武者たちに、私は宣言した。
 「大聖人の御遺命は広宣流布である。広宣流布を忘れたところに、もはや日蓮仏法の魂はない!」
 当時は、広宣流布を目的として戦いゆく学会に対して、宗門の一部坊主の卑劣な攻撃が表面化し始めていた時である。
 私は、決意も深く語った。
 「わが創価学会は、仏法の真髄を、民衆のなかへ、社会のなかへ流布しゆく、広宣流布の母体である。ゆえに、君たち創価班こそが、学会の未来万年にわたる盤石なる基盤を構築し、世界への大発展の原動力となっていくことを、忘れないでいただきたい」
4  学会員の外護の赤誠を冷酷に踏みにじる坊主どもの言動が、どれほど純真なわが同志を苦しめたことか!
 その陰に、学会の乗っ取りを狙い、己の私利私欲のために和合僧を破壊せんとした邪悪な輩の陰謀があったことは、もはや天下周知の事実である。
 我々は、真剣に、そして誠実に総本山を外護し、坊主たちを養い、大教団にしてあげた。
 その総本山をはじめ、坊主どもからの陰険きわまる反逆であった。
 イギリスの詩人バイロンは言った。
 「奴らは嘘で暮らしている」(『ドン・ジュアン』下、小川和夫訳、冨山房)
 そしてまたバイロンは、高い地位の傲慢な輩に対して、「いちばん高みにありながらも、いちばん小っぼけというわけだ」(同前)と責めている。
 その通りである。
 我らは、供養を取るだけ取られて騙された。その非道きわまる仕打ちに対しての無念さは、今もって絶対に忘れることはできない。人間のなす事以上の悪辣な、畜生坊主どもであった。
 若き弟子は、猛然と立ち上がった。使命の信念は一段と強く、明確なる目標に向かって、深い決意で戦った
5  あの一九九〇年(平成二年)。悔し涙を浮かべて憤っていた、創価班のリーダーの姿は、私の胸に焼きついて離れない。
 この年は、総本山で開創七百年の記念行事が相次いだ。その間、創価班のメンバーは多忙な仕事をやりくりして駆けつけ、不眠不休で運営の任にあたっていた。
 礼義を尽くし、真剣に任務に就いている創価班員に対して、宗門の坊主からは、感謝の言葉も、労いの言葉もなかった。それどころか、創価班を侮辱し、邪魔者呼ばわりする暴言を浴びせたのである。
 なんと無慚な、なんと増上慢の坊主どもか! 陰で一番苦労し、広宣流布を支えゆく正義の人を、悪口罵詈して恥じぬ忘恩の輩こそが、仏法破壊の邪魔者であるのだ。
 創価班は、私と同じ心で、総本山に真心を尽くしてきた。だからこそ創価班は、私と同じ心で、極悪との闘争に決起した。わが創価班は、仏意仏勅の学会を、如説修行の学会員を、そして広宣流布の命脈を守り抜いてくれたのだ!
 その功績は永遠不滅であり、その福徳は無量無辺であることは疑いない。
6  若き丈夫たちが、誇りとして歌い継いできたのが、創価班の歌である。この歌は、私が創価班の友に贈った二つの句をもとに作詞されたものであった。
 その一つの句は、一九七八年(昭和五十三年)の一月、四国研修道場を訪問した折、集い来る同志の整理・誘導に凛然と奔走する、その頼もしき姿を詠んだものと記憶する。
  「あな嬉し 学会厳たり 創価班」
 もう一つは、翌二月、白雪舞う真冬の立川文化会館で、寒風に一人立って、駐車場の片隅に着任していたメンバーに贈った句である。
  「寒風に 一人立ちたり 創価班」
 その年の三月に発表された創価班の歌は、当初、三番までしかなかった。私が三番も作るよう提案すると、関西のメンバーが率先して作詞に取り組んでくれた。
 彼らは、一二番の歌調に、私と関西の友が折伏の金字塔をもって常勝不敗の民衆城を築いてきた、青春の誇りと敢闘を語い上げてくれた。まさに、ここにこそ、「創価を守り抜く」との創価班の清純なる大精神の魂が光っていた。
 戸田先生は断言なされた。
 「折伏に精進するならば、魔の侵すところとはならない。決して天魔鬼神に侵されることのない平和な生活ができる」
 学会厳護とは何か。それは弘教の大波で、広宣流布の新しき舞台を、新しき人材の陣列を、無限に拡大していくことだ!
 仏法に説く現実社会の障魔がいかに競い起ころうとも、真の学会精神に立つ師弟があるり、すべてを変毒為薬して、赫々たる太陽の光に包まれゆく大道が、無限に我らの前にはある。
 私と創価班は、「古の奇しき縁」で結ばれた家族だ。この創価の師弟による、新しい建設の時代が、再び今、開始された。その偉大なる指導者たる創価班に、私は、イギリスの哲学者ラッセルの箴言を贈りたい。
 「偉大な建設的な事業の成功から得られる満足は、人生が与える最大の満足の一つである」(『幸福論』安藤貞雄訳、岩波文庫)

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