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日蓮大聖人・池田大作

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わが牙城会の使命を讃う 邪悪を破れ 学会の城を護り抜け

2002.9.17 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

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1  「悪をつよく憎まないものは、善をつよく愛さないものである」(「民衆劇場」宮本正清訳、『ロマン・ロラン全集』19所収、みすず書房)
 私は、青春時代より、このフランスの文豪ロマン・ロランの言葉が好きであった。
 さらに、彼は書いている。
 「ひとたび戦闘が開始されたら、最後まで、敵を仮借なく粉砕するまでやることが必要です」(「どこから見ても美しい顔」宮本正清訳、『ロマン・ロラン全集』36所収、みすず書房)
 この言葉も、胸を打たれた言葉の一つである。
 恩師戸田城聖先生は遺言した。
 「わが創価学会は、人材をもって城となせ」
 この激動の時代にあって、一人ひとりが偉大なる仏法を奉持し、不滅の城となってきたから、学会はいかなる嵐や怒涛に叩かれでも、微動だにもしなかった。
 これからもまた、この厳然たる姿勢は不変である。
 今や日本列島には、一千百三十余の法城が建築されている。世界にも、五百以上もの平和と幸福のための城が誕生してきた。創価学会という揺るがぬ人材の長城は、堂々とできあがった。なんと壮大なる新しい人類の夜明けであろうか。
2  いうまでもなく、この九月一日は、わが広布後継の、最も使命深き男子部の「牙城会の日」であった。
 それが決まったのは、一九七六年(昭和五十一年)のことである。
 その十三年前(一九六三年)の九月一日に、広宣流布の牙城である現在の学会本部が落成した意義を含めて、学会厳護の使命を担う、牙城会の日と制定されたのである。
 牙城会は、最優秀の青年が選ばれ、任命された。若々しき希望と使命の決意に胸を張った、彼らの凛々しき行動を皆が讃えた。これで学会は、一段と、無事安穏の大道が開けたからだ。
 この年(一九七六年)の晩秋のことである。
 私は幾たびか、わが本陣の学会本部の周辺を、自ら巡回した。警備を担当する、若き輝く瞳の牙城会メンバーと共に回ることもあった。
 尊い会員を一人も漏れなく守るということが最も大切であり、どうすれば守れるのか……会長の私と一緒に動くなかで、彼らにその責任感を体で覚えさせ、生命に刻ませたかったのである。小一時間ほどであったが、何か異常はないか、細心の注意を払いながら、私たちは生き生きとしてパトロールに歩いた。
 私はメンバーに語った。
 「牙城会は、本部、会館、そして、学会員を守る大切な使命がある。だから、どんな小さいことも見過ごしてはいけない」
 周辺の会館では、倉庫の中にも入って、くまなく点検した。厨房も見て回った。花壇に慎中電灯をあて、不審物の有無も確認した。
 どんな事故にも、前触れとなるような兆しが必ずあることを教えたかった。その時に気付いて、迅速かつ適切に対処すれば、未然に防げる場合が多々ある。
 反対に、一年の三百六十四日は無事故でも、ただ一日、ほんの一瞬の油断で異常を見逃したことから、取り返しのつかない大事故につながる場合もある。
 一般社会の火災・事故をはじめ、多くの事故が一般紙に報道されるたびに、私たちの心は暗くなる。悲しみが大きい日々である。「なぜ、あんな事故が……」と、誰もが驚く。しかし、後悔しても後悔しきれない悲惨な姿が多すぎる。
 ゆえに、牙城会の諸君は、私に代わって、私と同じ心で、大切な、大切な全国の同志のために、また全国の宝城ともいうべき会館を無事安穏ならしめるために、常に油断なく、常に厳しく細心の心の目をもって悪を見破ってもらいたい。
 我らの世界を、悪魔の世界より厳として守り、喜々とした同志のためへの守護を心から願いたいものだ。
3  日蓮大聖人は、ある時に、四条金吾に対して、「さきざき申すがごとく・さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」と注意を促された。
 ”これほどまでに!”と思うほど、弟子の身の安全に細かく気を配られている。これが御本仏の大慈悲の御振る舞いである。
 会合で勇ましく指導することだけがリーダーではない。会員の無事故・安全を、誰よりも真剣に祈り、人知れず心を砕いていくのが、広宣流布の指導者である。
 地方の会館や研修道場を訪問した折にも、私は館内や周辺を歩きながら、細かく点検し、胸中で絶対無事故の唱題を重ねてきた。建物の安全性や警備の面で、少しでも心配な点があれば、地元幹部に改善をアドバイスすることもあった。
 ”私が断じて守る!”
 ”断じて、悪を寄せつけない!”
 この強き一念こそ、牧口先生、戸田先生、そして私と二二代の師弟に流れる「厳護の魂」である。
 御書には「摩訶止観」を引いて、「城の主たけければ守る者も強し城の主おずれば守る者おそる、心は是れ身の主なり」と仰せである。
 その三代の魂を継承し、会館厳護、会員厳護に徹してくださっているのが、わが牙城会の諸君である。諸君こそ、まぎれもなく、新しき時代の広布の名指導者であることを忘れまい。
 我らの鉄壁のスクラムには、不知恩の畜生のごとき、堕落者は一人もいないと信じたい。牙城会の誇りの栄光は不滅である。
 えんじ色のネクタイも凛々しく、上着のえりには、「学会」「厳護」「牙城会」の頭文字「G」がデザインされた金バッジが輝いている。
 牙城会の若武者の陣列は、現在、約七万人。全国の一千を超える会館で、一年三百六十五日、水の流れるがごとく一日も休まず、警備の任にあたってくださっている。
 どれほど尊いことか。使命と誇りに燃え、勇んで任務に着かれている尊き一人ひとりに、私は、心から賞讃を送りたい。いな、御本仏が賞讃してくださっている。
 ゆえに、牙城会の皆様方は、「冥の照覧」によって、生々世々、生命の宝城たる汝自身が、諸天善神から絶対に守られていくことは間違いない。
4  沖縄本島の西へ約百キロメートルにある久米島では、一九九一年(平成三年)の春に、待望の会館が落成した。エメラルドの海を一望できる丘に立つ、赤瓦と白壁のモダンな法城の誕生を、地域の方々も共に喜び、歓迎してくださった。
 落成式には、百人近くの友人が参加。その秋の支部総会では百五十人もの友人が来館され、三線や踊りで祝福していただいた。今では、新年勤行会も、地域の伝統行事となり、我らの会館は島の貴重な友好センターになっている。
 ここでも牙城会が大活躍している。しかし、開館当時、この島の男子部の活動者は、数人にすぎなかった。そのなかで、皆、一丸となって懸命に会館を守った。
 「会館は自分が断じて死守する!」と、月に二十日間も着任し、会館厳護に徹してくれた友もいると伺った。
 その真剣な姿に触れた後輩たちが、一人また一人と牙城会を希望し、立ち上がっていった。現在、久米島の牙城会のメンバーは、何倍もの盤石なる陣列に拡大した。
 まさに、一人立つ勇者がいる限り、学会は難攻不落だ。そして、共戦の同志が雄々しく続く限り、広宣流布の栄冠は輝きわたる。
 沖縄研修道場には、久米島産の黒御影石に「共戦」と刻んだ碑が立つ。同志の皆様の奮迅の敢闘を、そして偉大な勝利を、万歳、万歳と祝福しながら!
5  ともあれ、いずこの地にあっても、わが牙城会の若き勇者は、地域の”安心の柱”として活躍している。
 任務中だけでなく、職場や近隣での火災の消火、防犯活動等に貢献したという話題も枚挙にいとまがない。まさに日ごろの訓練の賜物であろう。常に、皆のために働こうという一念の行動は、自身を磨き、模範の社会人として輝かせるのだ。
 「あのような頼もしき青年たちが増えてほしい」との、地域の方々の期待の声もあまりにも多い。
 皆、地涌の菩薩である。皆、無限の使命がある。
 その力を発揮するために、青年の心を鍛え、正しく育てられる団体は学会しかない。この正義の大学校のなかで、牙城会は、いわば最大規模の名門学府だ。
 「信仰を守って、その旗を守ることだ。それを高くかかげることだ」(『カラマーゾフ兄弟』1、北垣信行訳、『世界文学全集』45所収、講談社)
 これは、ドストエアスキーの有名な信念の言葉である。
 「牙城」とは、大将軍の旗である「牙旗」を掲げた城のことであった。
 今こそ民衆の大城に、正義の大旗を翻す時だ!
 牙城会の若師子よ、自らの地域で勝て! 今いる場所で断固と勝ち抜け!
 君たち自身が、学会正義の旗峨として、破邪顕正の旗印として、断じて、新しき民衆の、新しき勝利の歴史を築き、飾ってくれたまえ!
 「天下後世の英雄豪傑の多くは、劇甚なる生存競争にあい、失敗また失敗。しかも、これがために、少しも元気阻喪することなく、ますます勇気を増し、ついに最終の勝利を得る人物である」(『人生地理学』下、『牧口常三郎全集』2所収、第三文明社、趣意)
 この初代会長・牧口先生の透徹した人間観を、わが信念と定めて!

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