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日蓮大聖人・池田大作

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不二の旅立ち「8.24」(1) 大難の嵐を越え 正義の五十五星霜

2002.8.24 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
3  蓮祖は、仰せになった。
 「魔競はずは正法と知るべからず
 「大難なくば法華経の行者にはあらじ
 迫害こそ、正法正義の証であると、断言されている。激しき嵐の如き大難なくしては、真実の妙法広布の実践者とはいえないのだ。
 大聖人も「立正安国論」を天下に宣言された直後に、あの「松葉ケ谷の大法難」、また翌年には「伊豆流罪の大法難」を受けておられる。さらに、その後も、「小松原の大法難」、そして「竜の口の頸の座・佐渡流罪の大法難」と打ち続いた。
 まさしく「少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり」であられた。
 「如説修行抄」には、「此の経を聴聞し始めん日より思い定むべし況滅度後の大難の三類甚しかるべしと
 ――この信心を始めた日から、末法では釈尊の在世以上の大難が起こり、甚だしい三類の強敵が現れることを覚悟せよと、仰せである。
 入信間もなく、この御聖訓の一節が、わが生命に激しく轟き広がった。
 私は覚悟し、決意した。ゆえに、今もって、いかなる中傷批判も恐れない。
 私は、無数の悪口罵言に負けなかった。
 戦時中、仏法のゆえに、初代の牧口常三部会長は投獄され、獄死。二代の戸田城聖会長は、投獄二年。素晴らしき不惜身命の鑑であられる。
 師は、当然のこととして、この激流の迫害を乗り越え、勝ち越え、断固として殉教の歴史を飾られた。永遠の誉れの勝利の大勲章は、輝き光っている。
 この現実の姿は、私の心に深く、今なお、宝の如く、常勝不敗の決意として輝いている。
4  入会から一年余の九月。
 侘しく粗末な西神田の学会本部では、戸田先生の法華経の講義があった。
 受講生となった私は、大田の職場より、その講義に馳せ参じた。
 疲れきった我が身を励ましながら、青年らしく求道の道を走った。どんなに多忙でも、必ず講義に出席した。
 法華経の文底の法門が難解であったことは否めないが、戸田先生の確信ある甚深無量の仏法の講義には身震いし、感動を覚えた。
 人はどうあれ、社会はどうあれ、自身の正しき信念に生きゆくことは、最高に尊い。
 ますます荒れ狂い、不透明な未来に向かって、人生の深き意義を覚知し、平和と繁栄のために、自身の使命と責務を果たしゆく原動力たる信仰を持つことは、なんと偉大なことか。
 現実の歴史にあって、それぞれの時代、それぞれの世界も、その時の高次元の宗教によって文明が開花し、平和が創造されたことは、事実である。その方程式は普遍だ。
 三十年前(一九七二年)、トインビー博士は、私との対談で言われた。
 「未来の宗教は、『人類の生存を深刻に脅かす諸悪』と対決し、諸悪を克服する力を人類に与えるものでなくてはならない」
 まったく、その通りだ。
 そして、「だからこそ、その宗教を実践する、あなたに会いたかった」との博士の言葉は、私の胸中に響いて離れない。

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