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日蓮大聖人・池田大作

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大ピラミッドを仰ぎて いざや築かむ 大勝利の金字塔

2002.2.25 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
2  大ピラミッドの奴隷建設説は、紀元前五世紀のギリシャの歴史家へロドトスが、”ケオプス(クフ王)という王が人民を強制的に働かせて建設した”と書いていたことから始まっている。
 しかし、今日では、この通説は覆されてきたようだ。
 近年も、最新の発掘成果を踏まえ、”ピラミッド建設の主体者はエジプトの一般市民であった”と結論づけたリポートや書籍、テレビ番組が相次いでいる。
 たとえば、大ピラミッド付近で発掘された労働者の墓地からは、外科手術の跡がある遺骨が見つかったり、女性や子どもたちの遺骨も発見されている。
 つまり、労働者は、怪我をすれば治療を受けられ、作業現場の近くで、それぞれが家庭をもっていたのである。
 また、女性の労働者がいたという可能性も大きい。
 さらに、大ピラミッド内部や石切り場では、「クフの友人たち」とか、「国王万歳」と読める落書きも見つかっている。
 じつに、文字の書ける労働者がいたことは明確であり、その人民の声には、強制的に酷使された怨念というような影は見当たらない。
 それどころか、喜びや誇りをもって、この大建設作業に参加しているかのように見える。
 かつて、フランスのエジプト学の権威であるジャン・ルクラン博士は、私に言われた。
 「ピラミッドは、人間と永遠に生きる太陽神との交流の場でした」
 「(クフ王の大ピラミッドの建設は)信仰と正直さをもった心が、それを成し遂げたのです」
 今も、その言葉が、私の脳裏から消えない。
 つまり、「永遠の太陽の高みへ!」と、信仰と誠実さをもつ、偉大なる民衆が真剣に力を合わせ、不可能をも可能にする創造力が燃え上がって、ピラミッドは出来上がったというのである。
 まさに、大ピラミッドは、民衆が奴隷ではなく、建設の主体者として働いたからこそ築かれた「奇跡の塔」であり、「不滅の金字塔」であったと思うのだ。
3  ここに重要な「人間学」のポイントがあると思う。
 なんであれ、偉大なる仕事というものは、自ら責任を担い立つ、勇敢なる人間によって為されていくということである。
 嫌々ながら、人に「やらされている」という暗い意識があるかぎり、本当に一流の仕事は、絶対にできるものではない。
 戸田先生も、こうした無責任な”雇われ根性”を、もっとも嫌われた。
 ことに、青年のなかに、言われないと何もやらない受け身的な根性の者がいたら厳しく叱られた。
 いわんや、われらの広宣流布という”仕事”は、本質的に深き使命感と責任感に発する崇高な戦いだ。
4  わが師は、あの会長就任の席上、決然と宣言された。
 「七十五万世帯の折伏は、私の手でする!」
 皆に「やれ」とも、「やってほしい」とも、おっしゃらなかった。
 ただ一人、「私がやる」と誓願された。
 「獅子は伴侶を求めず」。先生の胸中には、他人を頼む弱き心は微塵もなかった。
 私も一人、その師の大願と共に立ち上がった。
 「この大法戦に参加させてください」と、自ら願って、戦いを開始したのだ。
 これが師弟の道である。
 だからこそ、無限の喜びがあり、充実があり、誇りがあり、感謝があった。
 まさに、「地涌の菩薩」とは、もっとも困難な広宣流布の主体者として一人立つ、「自発能動の戦士」といってよいだろう。
5  今、われらが築きゆくのは、万年に輝く「民衆の幸福と平和の大ピラミッド」である。
 それは諮のためでもない、民衆が自ら創造する、民衆のための大金字塔だ。
 御書には「末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」と仰せである。
 喜び勇んで、「広布の金字塔」の建設に尊き汗を流してくださる皆様は、必ず自身が荘厳な「宝塔」として光りゆくことは、絶対に間違いないと申し上げたい。
 四十年前、大ピラミッドの威容を瞼に焼きつけた翌日の二月八日、宿舎に日本から電報が届いた。
 「コウソ、ナシ……」
 大阪事件の第一審で、私は無罪判決を受けたが、これに対し、検察側が控訴を断念したという連絡である。
 ナポレオンは「四十世紀の歴史があのピラミッドから諸君を見下ろしている」(マーク・レーナー『図説ピラミッド大百科』内田杉彦訳、東洋書林)と言ったが、そのエジプトで、不思議にも学会弾圧の策謀と戦った裁判の勝利を、厳然と刻み残すことができたのだ。
 私は感慨無量だった。
 ”正義は必ず勝つ。これからも、断固として勝ち抜いてみせる。
 歴史よ、正しき審判者として、創価の前進を見ていてくれ給え!”
 彼、ナポレオンは、ある時、側近にこう語った。
 「これからの戦闘が世界の運命を決定するぞ!」(長塚隆二『ナポレン』上、文藝春秋)
 今、私たちの決意も、かの英雄と同じである。
 「新しき世紀を創る、本当の戦いはこれからだ!」

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