Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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雪の秋田指導二十年 ”冬は必ず春”を我らが実証

2002.1.13 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
5  秋田では、一九七七年(昭和五十二年)、七八年ごろから、陰険な坊主らの策動が始まった。
 なかでも大曲や能代の同志の悔しさは、いかばかりであったか。
 坊主たちは、冷酷に言い放った。
 ──学会員の家の葬儀には行かない、故人は地獄へ堕ちる、戒名はつけない、嫌なら檀徒になれ、等々。
 旧習の深い地域で、無理解の飛礫に耐えて、供養の限りを尽くしてきた同志を、背後から斬りつける、あまりにも卑怯、卑劣な仕打ちであった。
 しかし、秋田の友は戦った。
 「汝は逆運に、決してたじろぐことなかれ、むしろ運命打ちこえて、より大胆に進むべし」(ローマの詩人ウェルギリウス、『アテネーイス』上、泉井久之助訳、岩波文庫)
 秋田の無名の英雄たちは、この詩句のどこく、雄々しく勇戦し、創価の大城を守り抜いたのだ。婦人も、壮年も、頼もしき青年たちも!
 この人に会おう、あの方々に会おうと動くうちに、直接お目にかかった同志は、六日間で一万人近くに上った。
 文化会館に隣接する公園で、「大秋田の英雄ここにあり!」と、吹雪に胸張るがごとく行った、二度の記念撮影も、本当に忘れ得ぬ思い出となった。
 大曲の友も、能代の友も、真白き雪の降り注ぐなか、歓喜の渦となって、皆で勝鬨と万歳をあげた。
 今でも、あの人の笑顔、あの人の真剣な顔が胸に浮かぶ。あの友らがご健康で、ご長寿で、喜びの広宣流布の道を、朗らかに歩んでおられることを祈る昨今である。
 「冬は必ず春となる」とは、大自然の流転であり、大仏法の法理だ。
6  五十年前、わが師・戸田先生が悲願とされた七十五万世帯への突破口を開いた、歴史に残る蒲田支部の「二月闘争」。
 この蒲田支部に所属していた秋田の同志も、弘教「二百一世帯」の広宣の拡大に呼応し、勇敢に折伏に奮い立ってくれた。
 「仏縁」の拡大が、広宣流布の拡大である。
 雪の秋田指導の折、私は、広布の土台たる、強い支部の建設を訴えた。
 「支部に、勇気ある同志が何百人と賑やかに集うようになれば、一千万の連帯が必ず築ける。そうなれば、広布の基盤は、盤石のなかの盤石である」と。
 さあ! 新しき前進のこの年も、変わらずにわが大道を歩みながら、多くの人と会い、多くの友と会おう。
 また多くの人と語り、多くの友と語ろう。
 この快活な人間と人間との「対話」の大波が、「人間主義の世紀」であり、「創価の世紀」である、と謳い上げよう!

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