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日蓮大聖人・池田大作

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創価の先頭・中国の同志 民衆よ強く! 新時代の扉を開け

2001.7.24 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
3   中国の
    花また華が
      爛漫と
    広布の如く
      咲きたる美事さ 
 その二日後の五月二十日、平和の原点の地・広島で初めて開催された本部幹部会は、教え切れぬバラの花の香りが包んでいた。
 福山の婦人部の皆様が、会場の広島文化会館に届けてくださったのだ。
 私は、決まった式次第が終わると、皆に呼びかけた。
 「今日は、せっかくの機会ですから、もうしばらく語り合いましょう!」
 皆、大喜びで私の机を囲み、「バラの幹部会」は、数百人もの創価家族の「対話集会」となった。
 そして、我も我もと、喜びの報告が相次ぎ、対話の花が咲き薫ったのである。
 広宣流布の正義の闘士の集まりである。たとえ一言であっても、尊き汗と涙がいっぱい詰まっている。
 指導者は、友の声に耳を傾け、地味な努力と献身を讃えることだ。そうすれば、学会は、さらに何倍、何十倍もの力が涌出することであろう。
 御聖訓にも、「法華経の功徳はほむればいよいよ功徳まさる」と仰せの通りだ。
 賢明な使命に生き抜く人間には、倣慢に君臨する坊主などいらない。人びとを軽賤し、侮蔑してゆく愚昧な坊主などは、仏法破壊の魔物にすぎない。
 創価の民衆は、決然と立ち上がったのだ。権威も恐れない。中傷非難も恐れない。いわんや魔物の如き坊主など、誰が信用するか!
 真実の大仏法の哲学は、厳然と戦う創価の英雄たちの胸中に、満々と流れていった。
 ナチスと戦った、フランスの作家カミュは叫んだ。
 「人間は、自分の力をどのように使うかによって、その価値が決まる。低俗な人間どもには、偶然や愚かさがかれらに与えた権力のかけらをつねに濫用する傾向があるのは、注目すべきことだ」(H・R・ロットマン『伝記 アルベール・カミュ』大久保敏彦・石崎晴己訳、清水弘文堂)
4  この年(昭和五十三年)の七月二十日、私は岡山から鳥取へ入った。
 大山の見える米子文化会館での、ヒマワリの花に彩られた本部幹部会も、忘れられない。
 遠くから島根の代表の方々も来られて、共々に思い出を刻んだことも、今は懐かしい。
 あの人、この人、あの顔、この顔、皆、神々しき決意の瞳を光らせていた。
 初日の夜、鳥取の代表との懇談会が終わった直後のことであった。
 「先生、一日も早く八頭に来てください」
 「若桜にお願いします」
 「大栄町です。皆が、真剣に祈って待っています」
 私のもとに数十人の友が集まり、それぞれの地元の名前をあげながら、さまざまな報告をしてくださった。
 尊いのは同志だ。信頼できるのも同志だ。絶対に幸福になり、絶対に守らねばならぬのも、わが同志だ。幹部は、これを忘れてはならない。
 できることなら、わが同志が奮闘するすべての地域に行ってあげたい。せめて、会館に来てくださった同志は、直接、私が激励しよう!
 翌日、延べ七千人もの同志が、全県下から集われた。私は朝から、さまざまな体験や報告を聞きながら、何度も何度も、会合を繰り返した。
5  七月二十三日、鳥取から、列車に揺られて、岡山に戻り、岡山の「未来会」の会合、さらに男子部の県総会に、休みなく出席した。
 ”中国青年部がいる限り、広布も学会も心配ない、必ず正義の勝利の道は開いてみせる!〃
 あの日、誓い合った新しき世紀の本舞台は、遂に始まった。
 ともあれ、同志と同志の、この強く結ばれた友情がある限り、学会の未来は、分断されることなく、不和になることなく、永遠だ。必ず発展すると深く確信した。
 あれから二十三年ー現在は、その確信通りとなった。いな、その絆は、さらに強く、さらに拡大されている。
 中国は勝った!
 学会は勝った!
 新しい夜明けが、遂に来たのだ!
 「新しい時代は直接人民の胸から流れ出ている」(『悪霊』上、米川正夫訳、岩波文庫)とは、ロシアの文豪ドストエフスキーの有名な言葉である。

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