Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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わが初陣の故郷・大田 いざ驀進! 人生勝利の大ドラマ

2001.6.14 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
3  この「二月闘争」を発火点として、戸田先生が悲願とされた七十五万世帯への広宣流布の炎は燃え上がった。
 以来、大田の戦友は、妙法の聖火を掲げ、全国を駆け巡った。たとえば、矢口地区から秋田、名古屋へ、大森地区から函館へと、友は走った。
 さらに沖縄、浜松、大宮、水戸、川崎にも、弘教の波は広がった。大阪の初代支部長も、わが蒲田の出身だ。
 また、札幌の夏季地方折伏(昭和三一十年)や、翌年の山口の開拓指導の時も、大田の闘士は、私と共に勇んで戦ってくださった。
 私が、第一回の北・南米訪問の時から、何度も、何度も、世界に飛び立ったのも、羽田の空港からであった。二十世紀の後半、日本も、世界も、大田を源流として、慈折広布の波を千波万波と広げていったのである。
4   どこよりも
    命の絆
      大田かな
 大田は、広宣の源流の天地であり、わが故郷だ。
 大田に新たな大文化会館をつくろう──私が、こう提案したのは、昭和五十八年(一九八三年)のことであった。
 「完成の暁には、一カ月問、泊まり込んで指揮をとらせていただくよ」
 提案から七年を経た一九九〇年(平成二年)の晩秋、同志の待ちに待った宝城が、多摩川の河畔に誕生した。
 私も、落成式の一週間後、早速、初訪問させていただいた。その日は、蒲田の初代支部長の命目だったと記憶する。以後、美しき桜の季節をはじめ、三年間で会館への訪問は十二回、滞在は三十二日間──一カ月に及んだ。
 大勢の懐かしい友や、頼もしき青年たちに、お会いすることができた。また、時間を見つけては、車で区内をじっくり回ることもできた。
 その日々は、我らが日蓮仏法の正義を掲げ、毒蛇の本性を顕した狂乱の宗門と、決然と戦いを開始した最初の三年間と重なっている。「創価のルネサンス」の新時代の鐘も、わが故郷・大田の地から、凛々と響き渡っていったのである。
 「此れより後も・いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし
 これは、現在の太田に縁の深い弟子に与えられた、蓮祖の有名な御聖訓である。
 新たな歴史が動く時、私と共に立ち上がり、私と共に勇敢に戦い、希望の大道を切り開いてきた同志よ!
 なんと誇り高き使命と宿縁の大田であろうか!
 今、再びの驀進を、日本中が待っている。
 わが大田の友よ! 遂に始まった二十一世紀の大舞台でも、汝自身の新しい勝利と栄光のドラマを、快活に繰り広げてくれ給え!

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