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日蓮大聖人・池田大作

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新世紀の旗手・世田谷 前進! 勇気なくして勝利なし

2001.5.13 随筆 新・人間革命4 (池田大作全集第132巻)

前後
2  一度、世田谷・用賀の東京記念講堂で本部幹部会を開催したことがあった。
 一九八九年(平成元年)の七月十四日のことである。
 確か諸般の事情から、急に”本幹”のメーン会場にになったと記憶する。
 今の衛星中継が始まる前のことで、記念講堂には、世田谷の。ブロック長、ブロック担当員の皆様方が、音声による”本幹”の中継を聞くために集っておられた。
 そとへ、突然、私が入ってきたのである。場内を揺るがす拍手と歓声が轟き、後方の人は総立ちになった。
 地域の最前線で意気揚々と戦う、わが使命の同志の心は熱かった。その響きは、わき上がる民衆革命のどよめきのように思えた。
 この日は、「フランス革命二百年」の記念日。
 私は、革命の発端となった「バスチーユ牢獄の襲撃」について語った。
 一七八九年のその日、民衆がバスチーユを攻撃した時、囚人はわずか七人。しかも、革命の指導者が捕らわれていたわけでもない。
 しかし、この「バスチーユ襲撃」から、怒涛の大革命が始まったのだ。なぜか。
 それは、民衆の心が一変したからであった。専制政治の象徴たるバスチーユ打倒は、権力に屈従していた民衆自身の臆病な「心の壁」をも打倒したのである。
 大勇を奮って「内なる壁」を破った時、一気に自由の舞台が広がっていったのだ。
 私は強く訴えた。
 勇気なくして前進なし!
 勇気なくして勝利なし!
 日蓮門下は臆病であっては絶対にならない、と。
 広宣流布とは、正義の永遠闘争である。
 一つの山を越えれば、また次の新しき山がある。
 フランスの文豪ロマン・ロランは、有名な革命劇「七月十四日」で叫んだ。
 「バスチーユは落ちたが、まだ他にもバスチーユはあるんだ。突撃だ! 虚偽を攻撃するんだ! 『闇夜』を攻撃するんだ! 『精神』が『暴力』を征服するんだ」(『七月十四日』宮本正清訳、『ロマン・ロラン全集』9所収、みすず書房)
 戸田先生も、生涯の最後に師子吼された。
 「追撃の手をゆるめるな!」
 この闘争心があるかぎり、学会は前進し続ける。
3  四十七年前(一九五四年)の秋、青年部の初の体育大会「世紀の祭典」が、下高井戸の日大グラウンドで盛大に行われたことは、大いなる歴史である。
 私の提案で始まったが、当初、先輩幹部は全員反対であった。戸田先生だけが賛成してくださり、第一回から三回連続で出席し、青年を励ましてくださった。師匠の慈愛に包まれ、若き弟子の力が躍動した祭典は、やがて文化祭運動の大河に広がった。
 新しき歴史と文化を拓く、若獅子たちの大舞台──それが、わが世田谷である。
 「創価」の二字は、現実の荒波のなかで、懸命に生き抜く民衆の勝関となった。
 それは、気取った流行などに流されることのない、真剣勝負の生命の触発のみが放つ、人問の真実の光彩だ。
 そこには無限の力がある。
 人間よ、燃えて輝け!
 われらは、その人間復興の大運動の先頭に君臨しているのだ。
 アメリカの哲人エマソンは言った。
 「もしも魂がいきいきしていて強力なら、あらゆる方面でその境界をいっきに突破し、大海原に新たな軌道を広げる」(『エマソン論文集』下、酒本雅之訳、岩波文庫)
 その通りだ。
 さあ、新しき前進だ。拡大だ。開拓だ!
 勇敢に、汝自身の新しき扉を開くのだ!
 進もう、世田谷の友よ!
 新世紀の光輝ある騎手よ!

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