Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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仏法の生死観 「生も歓喜・死も歓喜」の黄金の人生

2000.11.3 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
6  大聖人の御在世、広宣流布に不滅の功労を残した南条家では、時光の一番下の弟・七郎五郎が、十六歳の若さで急逝した。
 心根も容姿も、それはそれは爽やかな、大聖人も将来を嘱望されていた青年であった。
 母にとっては、夫に先立たれた時、お腹にいた最愛の子である。
 大聖人は、その突然の死を、深く深く嘆かれ、悼まれながら、成仏は絶対に疑いないことを、何度も何度も断言なされている。
 ある追伸では、「釈迦仏・法華経に身を入れて候いしかば臨終・目出たく候いけり」と。
 たとえ若過ぎる死や、不慮の死のように見えても、成仏の証は明確に現れる。
 端的に言えば、多くの人びとによって、心から惜しまれる姿である。
 そして、残された家族が護られ、栄えていく姿である。
 家族が強く強く生き抜いていく時、その胸のなかに、亡き人は厳然と生き続けていく。
 大聖人は、励ましておられる。
 「乞い願うところは、悲母が我が子を恋しく思われるならば、南無妙法蓮華経と唱えられて、亡き夫君と御子息と同じ所に生まれようと願っていきなさい。
 一つの種は一つの種であり、別の種は別の種です。同じ妙法蓮華経の種を心に孕まれるならば、同じ妙法蓮華経の国へ生まれられるでしょう。
 父と母と子の三人が顔を合わせられる時、その御悦びはいかばかりで、いかに嬉しく思われることでしょう」(御書一五七〇ページ、通解)
 深遠な法理の上に、おとぎのようなロマンの幸福の世界が広がりゆくのが、仏法である。
 御義口伝には、「生死を見て、嫌い離れるのを『迷い』といい『始覚』という。一方、本有の(本来、永遠の)生死と知見するのを『悟り』といい『本覚』というのである」(御書七五四ページ、通解)と明かされている。
7  「如説修行抄」には、「三類の強敵」と戦い抜いた生涯は、ありとあらゆる諸天善神に擁護されながら、常寂光の仏国土に至ると説かれる。
 ハーバード大学での二回目の講演の一カ月後、東京の八王子に、牧口記念会館が誕生した。初代会長の殉教から五十年目の秋であった。
 日本の国家主義によって、三畳間の独房で獄死された牧口先生が、堂々たる大殿堂に顕彰された。
 月々日々に、広宣流布の闘士が颯爽と集い、世界中から知性の賓客が絶えない。
 それは、「生も歓喜」「死も歓喜」を象徴する、創立の師の生死不二の宮殿である。

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