Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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偉大なる離島の同志 栄光あれ! 広布模範の「幸福島」

2000.10.14 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
3  総会は、夜である。
 私が会場に入るやいなや、「うわぁー」と、言葉にならない声がわき上がった。
 風雪に耐え、深き皺を刻んだ一粒種の笑顔があった。
 働き者の純朴な瞳が光り、健康な皺が尊く光って見える。
 「一人立つ」という仏法の真髄に生き抜いた方々である。
 この無名の獅子ありてこそ、離島は勝ってきたのだ。
 私は合掌する思いで言った。
 「はるばる遠いところから、よく来てくださいました!」
 やっとお会いできた。
 夢のような歴史的な出会いであった。
 そして、この日が、日の出の輝きを受けながらの、現在の「離島部の日」となったのである。
4  過ぎ去っていく喧騒の時代を静かに見つめ、今を大切にしながら、来る日も来る日も、彼らは、小宇宙であるその「離島」で、堂々と、戦い抜いてこられたのだ。
 海と語り、風と歌い、大空を呼吸する島々では、すべてが友であり、仲間であり、恋人であった。
 彼らは、海に鍛えられた、強い、素朴な人間の真髄の力をもっていた。
 そして、濃やかな、現代人には見られなくなった、あの思いやりや真心をもっている。
 幾世紀にもわたり、本当の人間を作り上げてくれる舞台こそ、わが島である。
 しかし、時に、大自然は、過酷なまでの鋭き牙をむけてくる。
 特に、災害に遭われた伊豆諸島の三宅島の皆様のご苦労はいかばかりかと、私たちは、早期の復興を、毎日、真剣に祈念している。
 新聞も、船便の関係で、朝に届かない島や一日遅れの島、さらに三、四日に一度の配達という島もあるようだ。
 小笠原諸島となると、配達は約一週間に一度である。
 県の会合に出るにも泊まりがけの島。船や飛行機が欠航しないか、常に雲行きを心配しながら参加する、あの顔、あの瞳の友達がいつもいる。
 また、本部幹部会等の衛星中継は、百島ほどが可能になったが、その多くは個人宅での音声中継である。
 荒波を渡って、我らの会場に集い来る、わが共戦の戦友を思う時、胸が痛む。
 「道のとをきに心ざしのあらわるるにや」と、大聖人が仰せの通りの同志なのだ。
 このたび発刊となった、小説『新・人間革命』第八巻の「布陣」の章でも、「奄美」の同志の壮絶にして尊貴な戦いを綴らせていただいた。
5  蓮祖が発迹顕本後の大闘争をなされたのは、佐渡という「島」である。
 ここに甚深の意義があられると、私たちは胸を熱くする。
 私が今まで、「平和の発信地」として注目してきたのは、沖縄であり、ハワイであり、グアムであり、そして済州島であった。
 すべて、大海を呼吸しながらの「島」である。
 沖縄も戦乱の渦中へ、ハワイも戦禍の渦中へ、グアムも戦争の濁流へ、等々――。
 戦争の惨劇の舞台は、常に、平和の輝ける静かな揺籃のごとき、島であった。
 この島で、人びとは、暁と共に起き、悦びと踊りを忘れずに、吹き渡る潮風を友としながら、温かい憩いの城を築いてきた。
 老いゆくまで、懈怠を知らず、せっせと、常に若者のごとく働き続けた、尊き人間としての模範の天地が島であった。
 卑劣な戦争はまず、その楽しく生き永らえんとする、これらの宝の島々を、奈落の扉で閉じ込め、戦乱の地獄に変えた。
 凍てつく心に、さらに恐怖の炸裂をなしていったのだ。
 この残酷な仕打ちに、私の目は涙する。私の心は激怒する。
 ともあれ、それらの島々は、頭を上げて、人類史の転換の新しき扉を勇敢に開いてきたといってよい。
 島を大切にすることが、常に若々しく、涙と喜びをもつ人生を作り上げてくれる、人間として賢者の道である。島は、その偉大なる揺りかごであることを、忘れてはならない。

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