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日蓮大聖人・池田大作

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「同志の歌」と鹿児島 広宣流布の大願へ 断固と生き抜け!

2000.9.6 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
6  この日の夜、私は、記念撮影を陰で支えてくれた男子部の整理役員を研修道場に招いた。
 そして、満天の星のもとで、キャンプファイアーを囲みながら、声高らかに、そして厳粛に「同志の歌」を歌った。
 私は、その場に集った若き同志に、「柿の実党」と愛称をつけてはどうかと提案した。
 「桃栗三年、柿八年」のことわざのごとく、柿は実をつけるまでに八年かかるといわれる。
 私は、青年たちに「諸君も八年間、あらゆる困難にぶつかっても、悠々と生き抜き、断じて勝ち抜いていただきたい!」と語り、次の一句を贈ったのである。
  柿の種
    共に仲間だ
      いつか咲け
 後に、この九月七日は「鹿児島の日」となった。
7  「善を為す自覚に基く固い決心によって、征服出来ない困難は殆んどない」(『人間義務論 他二篇』大類伸訳、岩波文庫)とは、十九世紀イタリアの独立・統一運動の思想家マッツィーニの言である。
 この大確信のごとく、「柿の実党」の七百六十名の友をはじめ、偉大な鹿児島の同志は、私とともに、険難の山々を厳然と勝ち越えてこられた。
 その広宣流布の拡大は目覚ましい。全国模範の町村の筆頭としても、鹿児島・奄美大島の宇検村、ならびに住用村が、市では名瀬市が顕彰されている。
 御聖訓には、
 「日天・朝に東に出で給うに大光明を放ち天眼を開きて南閻浮提を見給うに法華経の行者あれば心に歓喜し行者をにくむ国あれば天眼をいからして其の国をにらみ給い」と説かれる。
 この「南閻浮提広布」のモデルの宝土が、「南」から広がっていることは、本当に嬉しい。
 九州研修道場には、私も、建設前の視察を含めて十七回訪問し、黄金の歴史を刻んだ。
 本年四月には、懐かしき、この道場は、「二十一世紀自然研修道場」として、希望の未来へ、新出発している。
 二〇〇一年の五月三日まで、あと二百四十日――″第二の七つの鐘″を乱打しゆく瞬間も、眼前に迫った。
 二十一世紀に乱舞する、わが鹿児島の同志よ! 妙法の薩摩隼人たちよ! 誉れある先駆の大闘争を頼む。
 朝な夕な、雄大な桜島を仰ぎながら、君の使命の舞台で、正義の砲撃を、歓喜の祝砲を轟かせていくのだ。
 今再び、誇りも高く「同志の歌」を歌いながら!

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