Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「同志の歌」と鹿児島 広宣流布の大願へ 断固と生き抜け!

2000.9.6 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  ある詩人が言った。
 「鹿児島の天地は、男らしい。
 その薩摩の風も、波も、桜島の響きも、断固たる正義のために、男らしく立ち上がれ! と叫んでいるように、私には聞こえる」と。
 たしかに、火の国の象徴の天地として、アジアへ、世界へ、新しき世紀の幕開けの偉大な雄叫びを上げている。
2  わが広宣流布の創価学会は、本年の十一月十八日をもって、創立より、七十周年の軌跡を刻む。
 かの詩人が言われた。
 「これだけの平和の大民衆の行進は、世界に燦たる歴史として残るだろう。それは、『必ず!』である」
 また、その詩人は、
 「不思議な使命を深く秘めた庶民の中から、湧き上がった革命である。これこそ、真実の文化革命であり、平和革命であり、人間革命である。
 歴史の常として、いわれなき非難の礫を多く浴びせられながらも、平然として賑やかに、堂々と戦い抜いてきた、この無血の革命こそ、尊き生命の模範中の模範である」と語っていた。
 広宣流布の先駆を切り開きゆく火の国・九州の使命は、まことに尊く、その力は全国に響きわたっている。
3  それは、一九七二年(昭和四十七年)の九月七日、木曜日のことであった。
 私は、大切な鹿児島の同志との記念撮影会に出席するため、鹿児島市内の県体育館に向かった。
 折からのにわか雨が、南国の厳しい残暑を、幾分か和らげてくれた。
 牧園町に完成した、霧島の九州研修道場(当時は九州総合研修所)の開所式が、前日行われたばかりであり、記念撮影に集った友の顔は、喜びと誇りにまばゆく輝いていた。
 「みなさーん、お元気ですか! 今日は、お会いできて嬉しい! 本当に嬉しい!」と、私は真心込めて呼びかけた。
 即座に、明るい声が跳ね返ってきた。
 「先生、ようこそ!
 先生、ようこそ!」
 私は、涙が出るほど嬉しかった。ともあれ、県下の代表幹部、約四千人の意気は軒昂であった。
 十五グループに分かれての、楽しい創価家族の記念撮影が始まった。
 遠く種子島や屋久島、奄美大島からの参加者もおられた。
 終了後、私は、周りに駆け寄ってきた、凛々しき礼儀正しい男女青年部と、共に学会歌を歌った。皆の未来をめざしゆく瞳は、あまりにも美しく清らかであった。
 「田原坂」を歌ったあと、私は言った。
 「次は『同志の歌』を歌おう! 一緒に歌おう!」
  ♪我いま仏の旨をうけ
   妙法流布の大願を
   高くかかげて独り立つ
   味方は少なし敵多し
 私と青年たちの歌声は一つにとけ合い、会場は厳粛な空気に包まれていった。
4  古今東西を通じて鑑となる、あらゆる偉業は、そして革命等の勝利は、必ず、青年たちの同志の結合によって勝利した。
 「同志という大目的に生きゆく魂と魂の一体性は、最も尊く、最も強い。
 その同志を裏切ることは、最も卑しき卑怯者のやることだ。畜生にも劣る」と、ある哲人は言った。
 日蓮大聖人、日興上人の御在世も、くだって牧口初代会長、戸田第二代会長の当時も、同じく反逆の方程式があった。
 御書には、「出世の恩のみならず世間の恩を蒙りし人」、つまり、仏法上はいうまでもなく、世間的な次元でも大聖人にお世話になっていた人間までが、違背したと記されている。
 私も、信頼してきた同志に、何人も裏切られた。
 あらゆる点で成功させるように努力し、功成り名を遂ぐように支援した。その挙句、彼らが卑劣にも裏切っていったことは、皆様がご存じの通りである。
5  「不惜身命」の経文通りに、戸田先生は、広宣流布のために生命を捧げられた。
 しかし、法理が永遠・普遍のものであっても、それを弘める人が続かなければ、仏法の命脈は断ち切られてしまう。
  捨つる命は惜しまねど
  旗持つ若人何処にか
  富士の高嶺を知らざるか
  競うて来たれ速やかに
 ここを歌われる時、いつも、鋭い眼光を私に向けられる戸田先生であった。
 「これは、君たちの歌だよ」と、よく青年に語られる先生であった。
6  この日の夜、私は、記念撮影を陰で支えてくれた男子部の整理役員を研修道場に招いた。
 そして、満天の星のもとで、キャンプファイアーを囲みながら、声高らかに、そして厳粛に「同志の歌」を歌った。
 私は、その場に集った若き同志に、「柿の実党」と愛称をつけてはどうかと提案した。
 「桃栗三年、柿八年」のことわざのごとく、柿は実をつけるまでに八年かかるといわれる。
 私は、青年たちに「諸君も八年間、あらゆる困難にぶつかっても、悠々と生き抜き、断じて勝ち抜いていただきたい!」と語り、次の一句を贈ったのである。
  柿の種
    共に仲間だ
      いつか咲け
 後に、この九月七日は「鹿児島の日」となった。
7  「善を為す自覚に基く固い決心によって、征服出来ない困難は殆んどない」(『人間義務論 他二篇』大類伸訳、岩波文庫)とは、十九世紀イタリアの独立・統一運動の思想家マッツィーニの言である。
 この大確信のごとく、「柿の実党」の七百六十名の友をはじめ、偉大な鹿児島の同志は、私とともに、険難の山々を厳然と勝ち越えてこられた。
 その広宣流布の拡大は目覚ましい。全国模範の町村の筆頭としても、鹿児島・奄美大島の宇検村、ならびに住用村が、市では名瀬市が顕彰されている。
 御聖訓には、
 「日天・朝に東に出で給うに大光明を放ち天眼を開きて南閻浮提を見給うに法華経の行者あれば心に歓喜し行者をにくむ国あれば天眼をいからして其の国をにらみ給い」と説かれる。
 この「南閻浮提広布」のモデルの宝土が、「南」から広がっていることは、本当に嬉しい。
 九州研修道場には、私も、建設前の視察を含めて十七回訪問し、黄金の歴史を刻んだ。
 本年四月には、懐かしき、この道場は、「二十一世紀自然研修道場」として、希望の未来へ、新出発している。
 二〇〇一年の五月三日まで、あと二百四十日――″第二の七つの鐘″を乱打しゆく瞬間も、眼前に迫った。
 二十一世紀に乱舞する、わが鹿児島の同志よ! 妙法の薩摩隼人たちよ! 誉れある先駆の大闘争を頼む。
 朝な夕な、雄大な桜島を仰ぎながら、君の使命の舞台で、正義の砲撃を、歓喜の祝砲を轟かせていくのだ。
 今再び、誇りも高く「同志の歌」を歌いながら!

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