Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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蓮祖の御入滅 大難を超え 燦たる太陽の如く

2000.6.5 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
4  御入滅は、十月十三日の″辰の刻″、すなわち午前八時ごろであった。
 参集者たちが御本仏の仏界の世界を味わいながら迎えた、最期の瞬間であった。
 しかし、それは最期であるとともに、永遠の生命そのものに飛翔する″新しい時″でもあった。
 その「滅不滅」の時を刻むかのように、その一室には、一日の始まりを象徴する辰の時、午前八時の太陽の光が、燦々と注ぎ込んでいたことであろう。
 旧暦の十月十三日は、現行の太陽暦では、十一月二十一日ごろに当たり、二十四節気でいえば、ほぼ「小雪」のころである。
 つまり、冬の始まりであるとともに、「小春」と呼ばれるように、春を思わせるような陽光に恵まれる季節でもある。
 伝記によっては、御入滅と同時に、庭の桜がいっせいに開花したと伝えるものもある。これは、日興上人の『御遷化記録』にはない話なので、事実ではないかもしれない。
 しかし、私は、この伝承の一節が胸に迫り、広宣流布の信徒として、せめても大聖人に桜の花を奉じたいと深く思い、蓮祖、そして二祖・日興上人のお喜びを、深く念じつつ、「十万本の桜」の植樹を決意したのである。
 いずれにせよ、このような言い伝えがあるのは、この日が「小春日和」だったからかもしれない。
5  大法に反逆した輩は、暗黒の死刑台へ運ばれていくにちがいない。
 日蓮直結の門下として、広布に走る人生は、豪華な王冠が、生命に輝くにちがいない。
 人生の終わりに、不平と苦痛と空白な、愚かな目を閉じるか。
 無限に新しい、確かなる永遠の太陽が昇るか。
 御聖訓には、「上上品の寂光の往生を遂げ須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて身を十方法界の国土に遍じ心を一切有情の身中に入れて」と仰せである。
 己の栄光の大勝利と大満足の最期の瞬間は、尊い次の生への旅立ちであり、妙なる音楽に合わせながら、飛び立つ鳥に囲まれるがごとく、自由の空に遊戯しゆくのである。
 そして再び、その人は、天の使命、天の役目をもち、美しさと誉れをもって、還り来るにちがいない。

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