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日蓮大聖人・池田大作

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強き福島 人材の福島 盤石なれ 東北革命の勇者よ!

1999.9.10 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

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1  「遂に、発見しました!」
 昨年(一九九八年)の十月下旬、金秋の福島から、嬉しいニュースが舞い込んできた。
 創価大学と福島の会津坂下町が合同で発掘していた古墳から、四世紀初頭の「銅鏡」が出土したというのである。
 「前方後方墳」からの銅鏡の出土は、東北で初めて。約七カ月がかりの労作業は、山々が雪化粧する直前に、ようやく実を結んだのであった。
 この大発見は、早速、創大祭の「創価栄光の集い」の席上、私から、「臨時ニュース」として発表させていただいた。
2  「鏡」には、仏法上、重々の意義がある。
 人は鏡を見て、自らを顧み、わが身を整える。それと同じように、汝自身の生命の姿を浮かべ、社会の実相を映す「明鏡」が仏法である。
 この「明鏡」に照らし、五濁悪世に沈む人びとに向かって、「正しき哲学をもって立て! 生き方を変えよ!」と、厳然と叫ばれたのが、日蓮大聖人であられた。
 しかし、「赤き面の者は白き鏡も赤しと思ひ」とあるごとく、「曲がれる心」の輩は、わが身を正すどころか、かえって鏡が曲がっていると見る。正法は侮蔑され、正義の人が迫害される。
 この転倒の世を正し、正義が栄える時代を築くために、われらは立ち上がったのだ! 負けてはならない! 真実を断固と言い切らねばならない!
3  今回、銅鏡が出土した会津坂下ばんげ町には、私は、青年時代に、二度訪れている。
 一九五三年(昭和二十八年)の五月、金上かながみ村(後に会津坂下町)にあった、ある寺院の事件の解決に奔走したのである。
 私は二十五歳。青年らしく、堂々と言論戦、渉外戦で、同志を守り抜いたことは、懐かしき思い出である。
 広布の攻防戦といえば、その四年後(一九五七年)、北海道の「夕張炭労事件」に勝利した直後のことであった。実は、私は、福島の浜通りに行きたいと思っていた。磐城いわき勿来なこそなどに、縁深き文京支部の班があったからである。
 しかし、私は、七月三日、事実無根の選挙違反の容疑で、大阪府警に逮捕される身となっていた。「大阪事件」である。
 私は、その時、「班十世帯の拡大」に邁進していた同志へ、「一〇(イチマル)闘争を完遂せよ!」と、北海の地から激励の伝言を送ったのであった。
 広宣流布は、三類の強敵という嵐を突き抜けて進まねばならぬ。これが、われらの宿命であるのだ。
4  わが創価学会は、仏法を基調として、文化と平和と教育を推進する尊き団体である。
 その一つの伝統行事として、晴れの文化祭が繰り広げられてきた。
 文化は平和であり、平和は仏法であるからだ。
 その文化祭も、幾度か、雨のなかを決行した歴史があった。
 雨に打たれながら、未来を毅然と指さし、未来を駆けゆかんとする清き瞳の青年たちは、あまりにも健気であり、その舞台は、まことに神々しき乱舞であった。
5  そして一九八四年(同五十九年)の五月十三日、福島の″霧雨の文化祭″が挙行された。
 福島はこの年、低温が続き、″黄金週間ゴールデンウィーク″を過ぎても、桜の花が残っている所があった。
 私は、郡山で当日の朝を迎えたが、天気は雨。気温も約八度と低い。文化祭が行われる福島市の、信夫ケ丘競技場の様子が心配であった。
 朝六時に、運営本部に問い合わせると、「曇っていますが、大丈夫です!」。
 私は、ひたすら晴天を祈ってきた友に、何度も、伝言した。
 「楽しく張り切ってやってください」「寒いようだから、風邪をひかないように、体に気をつけて」
 ――ある古代ギリシャの詩人は言っている。
 「思い切ってやる必要がある。時宜に適った
  苦労は、結局は人々に
  大いなる幸せをもたらすものだ」(『テーメノス』根本英世訳、『ギリシア悲劇全集』12所収、岩波書店)
6  雨は降ったり、やんだりを繰り返していた。
 午後一時半、私は、皆の待つ会場に到着すると、すぐにグラウンドを回った。
 スタンドには、婦人部、壮年部の方々が、若々しく大勢おられた。人文字で堂々の出演をするというのであった。
 この日は「母の日」である。
 偉大なる母たちは、笑みをたたえながら、壮大なスクラムを組み、その顔には気高き使命の太陽が光っていた。
 千の愛情の美しさと、夫と妻と子供を一体にした、気丈夫な生命の喜びが炸裂していくような奇跡の姿である。
7  鉛色の空から、我慢しきれないように、絹糸の雨が落ちてきた。しかも、日中というのに、三月下旬の寒さであった。
 私は皆様の健康を考え、開会を早めてもらった。
 しかし、戦い抜いた青年たちの魂の底からの大音響は、雨のなか、フィールドいっぱいに轟き、その躍動する生命は燃え、舞っていた。
 なかでも、五段円塔を中心にして、そこから左右に人間ブリッジを渡すという、″五段円塔ブリッジ″は圧巻であった。
 雨に濡れながらの、凛々しき騎士たちの一人ひとりに、私は王の冠を載せてあげたかった。
 私は、声高らかに謳った。
 ――君たちの顔は、清らかであった。
 君たちは、光の満ち満ちた、新しい生命の若き天使である。
 その生命が幸福であることには間違いない、と。
8  私は、一人の幹部に言った。
 「雨が降ったからこそ、すばらしき思い出となった。苦難と苦戦のなかに、偉大な思い出ができるものだ。この思い出が勝利の源泉になるのだ」と。
 もちろん、皆は晴天を祈りに祈ってきたのであり、晴れるに越したことはない。
 しかし、青年たちの情熱は、この試練の雨さえも、揺るぎなき信仰のドラマを演出する、意義深き銀の慈雨に変えたではないか!
 あの日、あの時、冷たい雨に堂々と胸を張った、愛する福島同志の晴れわたる勝鬨は、今も私の心に響いている。
 苦難に遭うことが、不幸なのではない。苦難に負けることが不幸なのだ。
 ゆえに、何ものにも負けない強さこそが、信心の極意であり、永遠の勝利と幸福の土台となるのだ。
9  戸田先生は、福島には行かれていない。しかし、東北の「要」が福島であることを強く主張しておられた。
 仏法は、永遠に仏と魔の闘争である。
 断固として、邪悪を破り、民衆の連帯の痛快なる万歳を叫びきっていく時代を、勇敢に開いていくことが「東北革命」である。その推進力こそ、わが「人材の福島」の闘士の粘り強き行動なのである。
 蓮祖は仰せである。
 「(法華弘通の法戦の)その時、いち早く先陣を切る者は、三世十方の仏を供養するのと同じ功徳を必ず得るだろう」
 (「其の時先さきをしてあらん者は三世十方の仏を供養する功徳を得べし」)
 福島は、東北の「先駆」の法城だ。
 さあ、出発しよう! 広宣流布という平和の大遠征へ! われらが携えるものは、勇気、勇気、そして勇気である。
 美しき研修道場が立つ、猪苗代湖の銀の鏡は、福島の友の笑顔を映し、今日も輝いている。

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