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日蓮大聖人・池田大作

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空万葉の故郷・奈良 歌え! 進め! 新世紀の春を呼べ

1999.9.6 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
5  私の″会長勇退″から二年半が過ぎた一九八一年(同五十六年)の十一月のことである。
 遂に、私は、学会破壊の策謀の網を破り、宗門の邪悪な鉄鎖を断ち切って、一人、獅子として立ち上がった。
 そして、関西の同志と、創価の万歳を叫びつつ、和歌山から五條を通り、橿原の明日香文化会館へ入った。
 「万葉の詩 ともどもに」と謳い上げた「紅の歌」が、四国で誕生した直後であった。
 支部結成二十周年を記念する自由勤行会の席上、私は、奈良の初代支部長をされた故・有馬猶二郎さんに、一言、挨拶をお願いした。
 すると、有馬さんは、「私は話が下手ですから」と、「春が来た」を歌い始められた。
 有馬さんは、一九五五年(同三十年)に夫妻で入会。あの支部結成の時には、自宅の塀に「有馬のばかやろう! 恥を知れ!」と黒ペンキで落書きもされた。
 しかし、いかなる「三障四魔の嵐」にも微動だにせず、正義の太陽とともに、愛する同志とともに歩み抜いてこられたのであった。
 「春が来た」は、この十二年前(一九六九年)の九月、奈良の幹部会の折に、私が呼びかけて、皆で歌った思い出の歌でもあった。
 七十歳の有馬さんのはつらつたる歌声は、やがて、会場の全員の歓喜の大合唱となり、「奈良に春が来た!」と、断固として、苦難の冬を勝ち越えた、生命の勝鬨が轟いたのである。
6  創立五十五周年(一九八五年)の春、「立宗の日」の四月二十八日には、奈良の青年平和文化祭が開催された。
 美しき花の奈良は、三千百人の若人が躍動する、荘厳なる人華の舞台となったのであった。
 われらの万葉の緑野は、地涌の菩薩が、敢然と躍り出る、新しき民衆の文化の大地である。
 そして、「人間賛歌」の平和の世紀へ、新しき旅立ちの天地である。
 そこでは、嵐に打ち勝った勇者の凱歌が、常に響いている。
 今、奈良の同志は、盤石にして無敵の陣列を組みながら、二十一世紀という、絢爛たる「生命の世紀の春」へ、千軍万波と、大前進を開始した。
 この地から新時代の「友情のシルクロード」をと、壮麗なる奈良国際友好会館も、歴史の都に、平和と文化の宝光を放っている。
 さあ、同志よ! 民衆の心と心を結びながら、人間勝利の「ルネサンスの春」を!
 明るい、明るい空が、創価の「永遠の都」の上に、晴れ晴れと広がっている。

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