Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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不滅の六段円塔 見よ! 創価の誇りここにあり

1999.5.10 随筆 新・人間革命2 (池田大作全集第130巻)

前後
7  堂々たる立像の演技が終わると、幾万人の競技場は静寂に戻った。至るところにいる同志が、勝利者の輝く実態を見た。
 関西青年部長であった大西正人君(現・副会長)がマイクに立った。
 「全関西の池田門下生十万の同志諸君!」
 弟子の誓いが光る、「平和宣言」の第一声が響くと、会場は厳粛な空気に包まれた。
 「一、我々は、日蓮大聖人の仏法を広く時代精神、世界精神にまで高め、『生命尊厳・人間平和主義』の理念にのっとり、立正安国の恒久平和運動を展開しゆくことを誓う……」と。
 私は、最後に挨拶した。
 出席した宗門の法主と、来賓の方々に謝意を述べたあと、青年たちにこう呼びかけた。
 「平和こそ、人類の願望である。我々は、いかなる中傷批判も乗り越えて、平和へ前進しなければならない。あとは諸君、この道をしっかり頼む!」
8  文化祭が終わって、二、三日たってからと記憶する。すぐ登山せよと、突然、連絡が入った。男のやきもちは真っ黒けと、陰口を言われている法主が呼びつけたのである。
 私は、京都、滋賀を訪問するという、わが愛する同志との予定を変更し、急ぎ、秋谷会長らと登山した。三月二十五日のことである。
 そこには、ものすごい修羅の形相の法主がいた。彼は、関西の文化祭について、居丈高に喚いた。
 ――青年部の宣言で、大聖人の仏法を時代精神、世界精神に高め云々と言っていた。もともと高いものを「高める」とは、なんたる不遜な言葉であるか、と。
 さらに、私の挨拶についても、「『日顕上人猊下』と言ったが、なぜ、『御法主上人』と言わなかったか!」と。
 あの大文化祭を見て、この調子である。まったく呆れ果てた、愚者のごとき、哀れな威張り方であった。それは、法主の名を借りた魔性の大悪僧の、嫉妬に狂う悲痛にも似た実態をさらけ出した一幕であったと、皆が怒り、笑っていた。
 御聖訓には、「修羅は日輪を射奉れば頭七分に破る」と仰せである。
 ともあれ、関西の空に厳然と立った″青年の塔″は、一歩も後退せぬ学会の反転攻勢の突破口となった。あの日、あの時から、今再びの常勝の関西から、われら正義軍の大行進は始まった。新しき二十一世紀の創価の勝利山へ!

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