Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

先駆の使命・大九州 友よ! 二十一世紀をよろしく頼む

1999.3.16 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  「九州男児よろしく頼む」とは、戸田先生の九州指導の、最後のご遺言である。
 九州には、恩師の絶大な期待があった。
 いな、今も、そして未来も、九州には、偉大なる広宣流布の使命が存在する。
2  わが師の大獅子吼が、大空に轟いたのは、一九五七年(昭和三十二年)の十月、福岡で行われた九州総支部の結成大会でのことである。
 ご逝去の約半年前であった。
 先生の衰弱は激しく、当日の朝も、体が食事を受けつけないような状態であった。それでも、先生は、会場のグラウンドを一周して、三万の同志を激励され、「九州男児よろしく頼む!」と託されたのであった。
 もちろん、「男児」といっても、「男女はきらふべからず」である。九州の全同志を包含したお言葉であることはいうまでもない。
 では、先生は、何を頼み、託そうとされたのか。
 この半年前(同年四月)、先生は、第一回の九州総会に出席され、″九州広布ではない、「東洋広布は我等の手で!」との雄大な気宇で進んでもらいたい″と結んだ。
 九州は古来、アジアの大交流の窓であり、港であり、玄関であり、大舞台であった。
 東洋、そして世界の広宣流布の先駆を、わが九州に「頼む」と念願されたことは、火を見るより明らかである。
3  思えば、牧口先生も、幾度となく、九州に足を運ばれた。
 ある時は、地元の会員夫妻の道案内で、近隣の農家へ、折伏に回られている。
 車などない。十数キロの田舎道を、全部、徒歩である。
 しかも、先生は、常に「先頭切って歩かれた」という。案内の会員のほうが、ご高齢の先生の後を追いかけた。
 まさに、先陣を切って波濤に立ち向かう、あの大将軍の英姿を、ここ九州の地に厳然と残されたといってよい。
4  「先駆」の熱き心は、先師の時代から、火の国・九州の勇者たちの血管に、脈々と流れている。
 私が会長に就任した翌年、″指導者十万″の結集に向けて、各方面の青年部の総会を開催していった時も、九州が先駆を切ってくれた。
 「我々が、全国の勝敗の鍵を握っている。断じて、勝とうじゃないか!」
 それは、広宣流布の不思議なリズムでもある。
 学会が、民衆を幸福の新大陸へ運ぶ、希望の船だとすれば、わが九州は、先頭で風を切り、浪を砕いて進む、船首の存在といえようか。
5  ところで、戸田先生は、ただ一度、現在の北九州市の八幡を訪問された折(一九五六年=昭和三十一年六月)、こう語られたという。
 「原爆などを使う人間は最大の悪人だ!」
 「悪魔」という言葉を使われたと、記憶する人もいる。
 同じ北九州の小倉が、広島に続く、第二の原爆の投下目標になっていたことは、今日では、有名な史実である。
 最後に、先生は宣言された。「二度と戦争の被害者を出さないために折伏を進め、広宣流布をするのだ!」と。
 ″原爆許すまじ″との、烈々たる叫びであった。それから、一年三カ月の後、歴史的な「原水爆禁止宣言」が発表されることになる。
6  この北九州は、今や広宣流布の「先駆の中の先駆」である。
 学会が嵐の渦中にあった時、暗雲を切り裂く暁の光のごとく、幾度となく、友の胸の空に、勇気と希望の旭日を昇らせてくださったのは、わが北九州の同志であった。
 この工業の街で、人間主義の旗を掲げて進む皆様にも、ある時は、陰湿な中傷と攻撃が、またある時は、畜生の坊主らの圧迫の烈風が吹き荒れた。
 いかなる宿命と使命のゆえであろうか。
 その時、わが共戦の友は、逆風をついて、正義の反撃の狼煙をあげ、必ず真っ先に立ち上がった! 必ず勝利の大波を起こしていった!
 そこから、全軍の勝利のエンジンの大回転が、唸りをあげて始まったのだ。
 一九七三年(昭和四十八年)の三月、北九州で開催された、あの勝鬨響く、第一回九州青年部総会を、私は、決して忘れることはない。
 皆で歌った「同志の歌」は、生涯忘れることはできない。
7  九州が立てば、全国が立つ! 九州が勝てば、全国が勝つ!
 この雄々しき先駆の大闘争心こそ、九州の魂だ。
 愛する九州の同志よ! 世界広宣流布の扉を開け!
 二十一世紀を、よろしく頼む!

1
1