Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第二章 日本と香港――「環太平洋文明」…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

前後
8  巨大な中国とどう付き合うか
 池田 今、中国は「四つの近代化」を進めています。その発展は世界の注目の的です。私も深圳などの経済特区を実際に目にして、確認したところです。
 「社会主義市場経済」は壮大な歴史的実験です。その中国で香港は今後、どんな役割を果たしていくのか。どんな位置づけがされていくのか。
 金庸先生は、返還後の香港の政府準備委員も務められています。そこで今後の見通しについて、うかがいたいと思います。
 金庸 「一九九七年」以後、香港は中国に返還され、中国という大家族の一員になります。香港における一切の問題は、香港という一地方に限った問題を除いて、中国と一体になって考えていかなければなりません。
 池田 もちろん、それが大前提でしょう。
 金庸 そのうえで中国といえば、ただちに思い浮かぶのが「巨大」という概念です。九百数十万平方キロの面積は、香港の九○○○倍を超え、一二億あまりの人口は、香港の約二○○倍です。
 私たちは、そんな「大家族」のなかに飛び込んでいくのです。前途は本当に無限です。どんなことでも成し遂げることができ、どんな事業も無尽蔵の可能性をもっています。これまでずっと緻密な計画を立て、目先の利益を追ってきた香港人にとって、まるで「小人国」の人間が「大人国」に足を踏み入れるようなものです。(笑い)
 『紅楼夢』でいえば、「劉老老、大観園に入る」の場面、つまり農村の女性である劉おばあさんが生まれて初めて華やかで堂々とした豪邸に入ってきたときのようすにたとえられるでしょう。
 池田 主人公である貴族の屋敷を、初めて目にしてビックリする場面ですね。
 ともあれ香港の方々は、まもなく中国という大家族の一員になられる。その立場で、今後、特に重要になってくると思われる課題は何でしょうか。
 金庸 中国と日本の関係です。
 中国と日本は"同文同種"です。しかし、これまで交通が不便だったこともあり、相互関係として挙げられるものは、あまりありません。中国から日本への文化、宗教の交流を除けば、日本の中国侵略の歴史くらいです。中国は文化、文明を日本に伝えました。ところが日本は、これに日本刀と銃砲で応えたのです。
 池田 そのとおりです。恥ずべき「不知恩」「忘恩」の歴史です。
 金庸先生は、自著の、黄塵の大地を揺るがす大活劇『書剣恩仇録』の日本語版の出版に際し、一文を寄せておられます。
 そのなかで侠士、大丈夫の名誉へのこだわりに関し、結論して「過ちを犯すのはもちろんよくないが、それよりいけないのは、過ちを犯したのに死んでも認めず、屁理屈をこねて誤魔化そうとすることである。これはますます名誉を汚すだけである」(『書剣恩仇録』〈一〉「日本の読者諸氏へ」岡崎由美訳、徳間書店)と鋭く論じておられる。
 まさにご指摘のとおり、日本の為政者や学者のなかには、中国に対する日本のかつての過ちをごまかそうとする姿勢があります。これは両国関係にとってプラスにならないのみか、未来を危うくするものでもあると思います。
 金庸 日本の戦後経済の奇跡は、幾人かの外国の学者が研究した結果によると、中国の儒教思想の伝統を発揮したためといいます。
 いわゆる儒教思想の伝統とは、主に「集団の観念を先とし、個人の利益を二の次におく」というものです。東洋社会は、家庭と集団の利益を重視しますので、しばしば私利私欲の打算を克服することができるのです。
 池田 「私利私欲の打算の克服」は、「個人の権利の制限と犠牲」と表裏一体を成しており、日米貿易摩擦のときなど、集団を優先させ個人を犠牲にしていると、アメリカ側からの攻撃の矢面に立たされました。
 しかし私は、儒教思想を一方的に封建的で遅れたものと見なす近代主義の立場はとっておりません。儒教的伝統のなかにも、幾多の貴重な精神的遺産が蓄えられていると思います。
 金庸 東洋的な人間の内面に発する天然の習性は、西洋人は学び取ることができません。それどころか日本の成功は世を挙げて、嫉妬と排斥を引き起こしました。
 アメリカのデトロイトでは、路上に駐車してあった日本製の自動車数台を、何者かが棍棒や鉄パイプでメチャクチャに壊し、鬱憤ばらしをしたという事件が起こっています。
 日本は、いつまでも経済上の大成功をわがものとし、制限も報復も受けないということはありえないのです。それでは日本の活路は、どこにあるのでしょうか。
 西欧国家は共同体の連盟を結び、共同の市場をもちました。近い将来、貨幣と経済政策も共有することになるでしょう。アメリカ、カナダ、メキシコも、同一市場の関係を打ち立てました。東南アジアのインドネシア、タイ、マレーシア、シンガポールなどの国家も、東南アジア諸国連合を結成しています。各国が連盟して集団をつくることは今や、世界的な趨勢になっています。
 池田 そのとおりです。この流れはますます強まっていくでしょう。
 金庸 こうした同盟関係は、戦争のためではなく、貿易のためなのです。そして貿易上の密接な関係から政治、文化のより緊密な関係が、自然の流れとして発生するはずです。こうした国家は、国際社会で孤立することはありません。
 では、日本はどこと盟約を結ぶのでしょうか。もちろん、中国とです。
 日本は現在、軍事上ではアメリカの核の傘に保護されています。しかし現実には、こうした盟約には何の意味もありません。単に日本人に「頼れる兄貴」がいて、人にいじめられる心配がないという心理をもたらしているにすぎません。
 実際のところ、周囲の国を見ても、ロシアは問題が山積していて、わが身のことで精一杯です。中国は基礎建設に没頭するため、長期の平和が保たれる国際環境をつくろうと、できるだけの努力をしています。武力衝突を起こそうと、人に向かって挑発する意図など、絶対にもっていません。また西洋の諸国が、わざわざ東にやってきて、ことを起こすことなどありえません。
 あるとすれば、日本軍国主義者の野心が再び芽生え、東アジアで人の「あら」を探して問題を起こし、他国を侵略することです。しかし日本が侵略を開始しても、アメリカが支持するとは限りません。
 池田 だから日本は、中国をパートナーに選ぶべきだということですね。
 金庸 ええ。中国は厳格な人口計画を実施していますが、今後数十年のうちに中国全土の人口は一三億~一四億に増加することは間違いないようです。ということは、一人当たり毎年一米ドルを増産しただけで、国内総生産は一三億~一四億米ドル増加することになります。
 一人が一○米ドル増産すれば、国内総生産は一三○億~一四○億米ドル増加します。中国の生産力の発展は、ようやく動きはじめたばかりです。毎年、八~一○パーセントの速度で上昇を続ければ、二十一世紀半ばには、きっと世界第一位の経済大国に成長することでしょう。総生産額がアメリカを追い抜くことは間違いありません。一人当たりの生産額は、そう高くはならないでしょうが、全国的な総計は、驚異的な数値になります。
 中国と日本が、もし経済で真の同盟を結べれば、両国にとってきわめて大きな利益をもたらします。また世界平和を確固たるものにするうえで、重大な役割を果たすはずです。日本の先進技術と組織力に、中国の巨大な地域と人口が加わるわけです。
 このような同盟は当然のことながら、世界中から、その一挙手一投足を注目されるほど重要なものになります。この同盟によって、世界平和を擁護するならば、誰が軽率に平和を破壊するような暴挙に出ることがありましょう。このことは日本にとっても、もとより願ってもないことであり、中国も心から希望するはずです。
9  よきパートナーシップを築くために
 池田 おそらく金庸先生と結果的には同じ方向を目指すことになると思うのですが、私は経済的にも軍事的にも、何らかの"覇権"的なものにつながるブロック化には反対です。
 もちろん、日中間の経済協力は、もっともっと緊密化し、強化されていくべきだと思います。と同時に中国、日本、アメリカの信頼関係はアジア、太平洋地域の根本問題ですから、お互いに対等のよきパートナーシップの相手でありたい。世界の平和と繁栄という大局を見すえて、一つ一つ適正な選択をしていくバランス感覚――これが、日本に一番欠けているものです。
 日中関係にしても、あまりにも対米追随で場当たり的な対応に終始してきた。私は、両国にいまだ国交がない約三○年前、日中国交回復の提言を行いましたが、その点に警鐘を鳴らしたつもりです。そうしたバランス感覚がなければ、よきパートナーシップなど"絵に描いた餅"になってしまいます。
 金庸 基本的なポイントは、双方が誠心誠意、平等互恵の立場を貫くことです。どちらかが優位に立とうとか、相手を犠牲にしようなどと考えないことです。
 日本人はたいへん賢明であり、中国人も決して愚かではありません。一度でも、どちらかがだまされたり、バカを見たりしたら、もう二度目はありえないと考えるべきです。秘策を戦わせて互いに争ったり、私利私欲に走ったならば、同盟を結ぶことなど、できません。たとえ結んだとしても、すぐに仲間割れして決裂してしまうでしょう。
 池田 何であれ、「信頼関係」こそ一切の基盤です。
 金庸 フランスとドイツは元来、仇敵同士でした。ナポレオン戦争、普仏戦争から二度の世界大戦にいたるまで、長年にわたって血で血を洗う激戦を行いました。両国が互いに殺戮した青年は数え切れないほどです。
 しかし今日ではフランスとドイツはしっかりと手を結び、至誠からの団結を守り、互いに相手を配慮しながら、欧州共同体の礎になっています。
 中国と日本も仇敵同士で、長年、戦場で対峙する仲でした。しかし今日では、共通の利益をもっています。中国を侵略し、中国を支配する考え方さえ日本になければ、フランスとドイツの同盟のように、中日同盟を結ぶことができるのではないでしょうか。
 中日同盟を現実のものとするには、中国側は儒教の「仁義礼智信」の精神を、より多く発揮させなければなりません。日本側は、日蓮仏法の説く慈悲を胸に、「善の心」で人に接するという仏法の精神を、より多く発揮させなければならないと思います。
 私のこのような考え方は、ともすれば願望が現実の可能性を上回っているのかもしれません。この点、池田先生のご教示を仰ぎたいと思います。
10  「環太平洋地域の連帯」を展望して
 池田 恐縮です。深いご見解、鋭い歴史観に敬服します。中国のもつ潜在的な力と文化の厚みは、米中の劇的な国交回復を主導したキッシンジャー博士も、私との対話でつとに口にしていたことです。
 そのうえで私は、今、先生が言われた「中日同盟」の前提について、少し触れさせていただきたいと思います。
 金庸先生もご指摘のように、ひと口に「平和な世界」といっても、いっぺんにはできません。国と国との連帯なり、地域的なまとまりなりの延長上に、平和な「一つの世界」があるわけです。その平和な「一つの世界」をつくっていくためには、どんな地域のまとまりというか、枠組みが考えられていくべきか。私も、ずっと考えてきました。世界の識者の方々とも対話してきました。
 そこで、以前から強い関心をもっているのが、政治や軍事、経済に限らず、広く文化一般まで展望した「環太平洋文明」という視点です。環太平洋という地域には、日本、中国はもちろん、東南アジアやオーストラリア、南北のアメリカ大陸諸国も含まれます。一説には、世界の人口の約六割が、この地域に住んでいるともされます。当然、民族も文化も言語も多種多彩です。親しく交流した歴史すらないところもある。
 しかし、もし、その連帯が実現できるなら、まったく新しい「世界文明」の可能性を引き出していくことができる。なんとか太平洋を人類融合の「実験の海」にしていくことはできないかと、私は常々思ってきました。
 金庸 壮大な発想ですね。
 池田 かつてクーデンホーフ・カレルギー博士と語り合いました。EU(ヨーロッパ連合)の生みの親と言われる方です。
 博士は、「現代はヨーロッパ・アメリカ文明の大西洋から、次第に新しい太平洋文明に移行していく過渡期」であると指摘されていました。トインビー博士も同じように、太平洋文明の到来について語っておられた。
 両博士とも、「平和で、開かれた太平洋文明」を展望されていました。
 教育学・地理学の泰斗でもあった、私ども創価学会の牧口常三郎初代会長も、早くから環太平洋地域の重要性に注目しておりました。処女作の『人生地理学』(一九○三年刊)では、日本の位置を「太平洋通り〇〇丁目」といった表現で、わかりやすく示しています。
 「平和な、一つの世界」を見つめ、そのための「環太平洋地域の連帯」を展望する。そのうえで、日中両国の関係が果たす役割は非常に大きい。この意味から言って、日中間の多角的な協力関係は重要ですし、大いに進めていくべきだと思うのです。何しろ中国と日本は、「太平洋通り」では、丁目の違いどころか、番地の違いぐらいに近接しているのですから。
 金庸 よくわかりました。ともあれ、このような中日関係を含めた大仕事のなかで、香港がまず、中国の先駆としての役目を果たせればと希望しています。経済面にしても、日本がもし、善意をもって香港との協力を強化できれば、中国の信用と善意を増すことができ、巨大な協力関係に向けて邁進できる可能性が出てくると信じています。
 池田 香港には、多様な文化を受け入れ、諸民族の「共生の道」を模索してきた歴史があります。観念ではなく、実体験の蓄積があります。その香港の方々と信頼を結んでいけるかどうかは、日本の国際化の試金石でもあるのです。

1
8