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日蓮大聖人・池田大作

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2 師弟――限りなき向上の軌道  

「カリブの太陽」シンティオ・ヴィティエール(池田大作全集第110巻)

前後
12  大闘争を成功に導いた「人間の絆」
 ヴィティエール それまでの革命運動は、たび重なる挫折のなかで、自治主義(スペインのもとでキューバの自治権を求める考え方)やカウディリョ政治体制(軍人主導の政治)、移民同士の分裂、軍人と民間人との対立、人種差別などが際立つようになってしまいました。だからこそ、あなたが強調されたとおり、「人間の絆」が重要だったのです。
 そのうえマルティは、新たな障害を次々と克服しなければなりませんでした。キューバ内外にはアナーキー(無政府主義)的趨勢がありました。さらに、
 世代間に出現した不信もありました。すなわち、たえず最高権力に屈服してきた旧世代の人々と、マルティがあの忘れがたい演説(一八九一年十一月)のなかで「新しい松」と名づけた新しき人々との間に不信が広がっていたのです。
 池田 なるほど。状況はかなり複雑で、おたがいが一致しない面も少なくなかったのですね。そのなかを、粘り強く「人間の絆」を織りなしていった。
 革命をなしとげるには、民衆の心が一つになっていなければなりません。
 長い間の圧制や混乱のなかで、人々の心には、不信や卑屈、怠惰、臆病などの“負”のメンタリティー(精神性)が、澱のようにたまっていた。それを“正”のメンタリティー、すなわち信頼や誇り、努力や勇気などへと転じていかねばならない。
 インドのネルー初代首相は、語っております。
 マハトマ・ガンジーの出現は、長年の植民地支配のもとで虐げられ、いじけていたインドの民衆の心から「どす黒い恐怖の衣」をはぎとり、「民衆の心の持ち方を一変させた」のだ(『インドの発見』辻直四郎・飯塚浩二・●山芳郎訳、岩波書店)、と。
 マルティが粒々辛苦のなかに志向していたのも、そうした「民衆の精神変革」だったのでしょう。
 この精神変革――私どもの言葉で言えば「人間革命」を可能にするには、何が必要か。そのためには、卓越した人物が出現し、優れた範を示していくことです。それ以上の力はありません。
 フランスの哲学者ベルクソンを、私は青年時代に愛読しました。彼は『道徳と宗教の二源泉』の中で「いつの時代にも、この完全な道徳の権化であったような例外的な人々が出現した」(平山高次訳、岩波文庫)として、彼らの存在自体を「英雄の呼びかけ」と名づけました。
 マルティも、おそらく、そのような“英雄”の一人であったにちがいありません。
 ベルクソンは、「なぜ偉大な善人たちはその背後に群衆を従えたのであろうか。彼らは、何一つ要求しない、しかも獲得する。彼らは説きすすめる必要はない。彼らは存在しているだけでよい。彼らの存在がひとつの呼びかけである」(同前)としています。
 この言葉のように、マルティの存在自体が「呼びかけ」となって、多くの人々を引きつけていったのでしょう。
13  「友といる、それが社会である」
 ヴィティエール そのとおりです。もちろん歴史の常として、それは試練の連続でした。マルティは、たえずスペインのスパイ行為に悩まされました。そればかりか、キューバの人々すら、彼のいだく理想に対して、ますます敵対的になっていったのです。
 その逆風のなかで、彼の政治的役割は、「植民地のくびきから解放され、独立した主権をもつ共和国を築こう」と決意しているあらゆる階層、人種、信条のキューバ人たちを、一つに結びつけることでした。
 融合と結合をめざす交渉です。そのためには、イデオロギーと同様に「人格的要素」が重要な役割を果たしていたのです。これは万人の認めるところです。
 それは、彼の業績の魅惑的な側面となっているのですが、じつに友情に関する深い思慮にもとづいているのです。
 友情について、若き日のマルティは「女性の気まぐれを除いた愛という行為である」と言っています。のちには「人生におけるもっとも強力な財産」であるとし、「友といる、それが社会である」とも述べています。
 池田 いかにも、人間愛の人、マルティらしい言葉です。とくに「友といる、それが社会である」など、まことに簡勁で要を得ています。
 私もお会いしたことのある、ある日本の識者(小林秀雄氏)は、「道徳は全て社会的なものだ。(中略)親友を捉めない人は道徳を捉めない」(『常識について』角川文庫)と言っていますが、マルティの言葉と瓜二つといってよいでしょう。
 友情こそ、社会秩序を成り立たしめる根幹なのです。
 ヴィティエール マルティの友情礼讃については、さらに多くのことを付け加えることができるでしょう。同時に私は、彼がこの上なく、心優しく打ち解けやすい人柄の持ち主だったことを強調したいと思います。
 それは彼の生まれついての気性ですが、また“孤独な人間の愛への渇望”とも呼ぶことのできるものなのでしょう。
 彼のほとばしる思いをこめた手紙の多くに、それを感じとることができます。それらは、やむをえなかった亡命生活の非情な空間を埋めるために書かれた手紙でした。しかし、まるで彼にとっては未知の名宛人――後世の人々に対して書かれたものではないか、と思うこともしばしばなのです。
 池田 私どもの宗祖も、宗教的信念においては巌のごとく揺るがぬ大確信の方でしたが、その一方で、無名の婦人や老人に対しては、
 それはそれは情愛あふれる手紙の数々を遺しておられます。
 強さに裏打ちされた優しさ――それは、優れた人格に特有のことなのかもしれません。

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