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日蓮大聖人・池田大作

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宝塔と生命の尊厳観  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

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5  池田 この多宝の塔の儀式は、生命の尊さを表していますが、いつの時代にあっても、人間にとってもっとも大事な課題は、この生命の尊厳性への覚醒ではないでしょうか。それは、みずからの生命を事実のうえにおいて尊厳といえるように、たゆまざる努力を持続していくとともに、あらゆる他者の生命を尊重していくことによって実現されているのです。
 現代文明は、生命の尊厳という理念をかかげることはしても、現実は、欲望や衝動に身をまかせる方向にのみ突き進んでいます。そして、ますます組織化が進む社会のなかで、個人の価値は卑小な部品化の傾向をたどっています。
 『法華経』が宝塔によって訴えている生命尊厳の理念と、その自覚化への教えは、そうした現代文明のあり方に対し、ますます重要性をもっていると私は信じています。
6  カラン・シン あなたは、今日の社会・政治組織においては個人が理不尽な圧迫を加えられる危険性があるといわれましたが、私もまったく同感です。今世紀において、経済的政治的等、さまざまな種類の集合体が、指導者たちの主張する「より大きな」利益のためという名目で、幾百万人の人間をたんなる記号に格下げしてきたのを私たちは見ています。
 であるからこそ、個人の尊厳をもって至上とするヒンドゥー教・仏教の見解がまことに重大な意義をもつことになるわけです。ウパニシャッドでは人間のことを「不滅なものの子ら」と呼んでいます。その意味は、人間にはだれしもみずからの内面の意識を発達させ、ついにはそれを光輝燦たる精神的悟達へと開花させる権利がある、ということです。
 したがって、一人一人が尊く、またかけがえのない存在ですから、個人の尊厳をあくまでも尊重しなければならないのです。

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