Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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初期アーリア人の社会  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
3  カラン・シン アーリア民族が、さまざまな氏族や部族に分裂していたにもかかわらず、全体としてはさまざまな神々の崇拝や拝火信仰に由来する神格化された自然の諸力の崇拝を中心とする、一つの強力な信仰によってたがいに結ばれていたという事実を認識するならば、部族信仰という段階が見られないのはなぜかという、あなたが提起された点への回答となるでしょう。
 世界の多くの地域の人類史とは違って、アーリア民族には、外界に表れたあらゆる偉大な諸力――太陽・月・風海岸山岳――は、それと同じものが人間の心の中にもあるということ、そして事実それらは単一の、すべてを貫く神的な力が顕現したものであるという認識が最初からあったというところに、彼らの天賦の才を認めることができます。アーリア文明に最大の力と活力をもたらし、また各部族がみずからの神の優越性を主張して起こすような宗教上の紛争を防いだものこそ、あらゆる存在が一体であるという、この認識だったのです。
 あなたが正しく述べておられるとおり、王・戦士と祭官の役割は、アーリア文化の初期の段階からはっきりと分化されていました。だからといって、祭官が智慧を独占していたというわけではありません。『ウパニシャッド』の中には、バラモンが精神的な指導を求めて支配階級のクシャトリアのもとへ行く話がいくつか見られます。しかし日常生活においては、アーリア人の拝火儀式をつかさどる祭官と、部族の守護・拡大を任務とする王・戦士とは別個でありながら、しかもたがいに結びついて創造的な共生を営んでいたのです。

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