Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第一章 民主化への道――夕暮れにナベ、…  

「太平洋の旭日」パトリシオ・エイルウィン(池田大作全集第108巻)

前後
9  軍政側の思惑を逆手にとった知恵
 エイルウィン そうなのです。前に述べたように一九八〇年憲法は、ピノチェトが八年間大統領を務めたうえ、八八年十月に、さらにその先の八年間の大統領職に就くことを認めるかどうかの国民投票を行うことを定めていました。選挙人登録を行い、市民たちは、ピノチェトの留任に対して「シー(諾)」か「ノー(否)」の無記名投票が行えることになっていました。いうまでもなくその制度は、マスコミの独占と巨大な権力で、政府が「シー」の勝利を強要できる状態にあると思い込んで制定されたもので、ピノチェトが切望した十六年間の在職を是認させるためのものだったのです。
 池田 つまり軍政側が権力維持のためにつくった一九八〇年憲法で定めた八八年の国民投票を、いわば逆用してピノチェト軍事政権に「ノー」を突きつけようというわけですね。すばらしい知恵の戦いです。混沌の荒野に一筋の道を見いだしたわけですね。
 エイルウィン まさに、そのとおりだったのです。じつは、この国民投票が民主主義回復の道を平和裏に切り開くことになろうと、初めて公に支持したのは、私です。八四年半ば、学術的な研究所が企画したセミナーの席上で、でした。ピノチェトを彼自身の土俵で打ち破ろうと、論じたのです。国民の過半数が、独裁主義を終わらせることを願っているから、私たちの呼びかけに応えてくれるだろうと確信していたのです。
 池田 死中に活を得る――といった、かなり思いきった提案ですから、異論もあったことでしょう。
 エイルウィン 多くの人々は、幻想にすぎないと考え、こう言いました。「国民投票とは独裁者たちがその体制を表面的に整えるための手段である。これまでの歴史で、国民投票に負けた独裁者などいたか。そればかりか国民投票に参加してしまえば、反軍政派は、信頼性のない国民投票そのものから生まれた独裁的憲法まで合法と認めてしまうことになる」と。しかし、私たちは、だからこそ対抗策を練り、反論しました。
 もし国民の過半数が自由を回復したいと熱望しているならば、もし市民の過半数が選挙人名簿に登録したならば、そして選挙手続きが公正に行われたならば……結果はどうなるでしょう。チリの人々はいつも選挙に熱くなりますから、過半数の選挙人名簿への登録は可能なのです。
 また、選挙が公正に行われるために、国際監視団の立ち会いを求めることができるのです。そうすれば、私たちは国民投票に勝てるのです。平和裏に、独裁政権に終止符を打てるのです。
 事実は……そのとおりになったのです。
 池田 すばらしい。そのときのチリのニュースは、日本でも逐一報じられたのを覚えております。
 「チリ 国民投票始まる 反軍政派も独自集計へ」「国民投票、開票遅れる 集計、両派でくい違い」(「朝日新聞」一九八八年十月六日付、朝・夕刊)など、注目を集めました。
10  国民の自由意思で民主主義に復帰
 エイルウィン 光栄にも、私は、「ノー」をめざす政党連合――「ノーのための司令部」の先頭に立つことができました。恐怖と懐疑主義を乗り越えよう、との私たちの呼びかけは、同胞たちに受け入れられました。七百万人以上の人々が、選挙人登録を行ったのです。
 同時に、選挙手続きの公正さを監視するための無党派組織が出現しました。その組織は、国民からきわめて厚い信望を得ている人たちで構成されていたのです。しかも作業は友好関係にある国々の民主団体の積極的支援を得ることとなり、国民投票監視団という重要な代表団を送りだしてくれたのです。
 池田 現在は、すべてがグローバル(地球規模)な連携と位置づけのなかで推移する時代です。小さな村や町も、世界のなかで呼吸し、全世界とつながって、運命を共有している。一国だけの平和や繁栄がいかにナンセンスか。一地域が即地球に通じる。チリの勝利も、世界と同じ、時代の流れですね。
 エイルウィン 勝利への確信は、日に日に強まっていきました。確信は、微動だにしませんでした。国民投票が行われた日の午後、開票結果を知るにつれて、勝利感を味わっていました。しかし、政府が、開票結果の発表を故意に遅らせていることに対して、かなり深刻な不安感をいだきました。
 全国民に対して、結果を発表すべき内務省が、真夜中まで発表を遅らせ、回避し続けたのです。私たちは、危機感をおぼえました。政府はみずからの敗北を認めようとせず、武力で抑えこもうとしているのではないかと、ざわめき、憂慮しました。
 池田 勝利を最終的に確認できたのは、いつですか。その時どこにおられましたか。
 エイルウィン 国民投票が行われた夜(一九八八年十月五日)のことです。テレビ番組に、著名な政府支持者側の指導者で、軍事政権下で内務大臣も務めたことのあるセルヒオ・オノフレ・ハルパ氏と、反政府勢力の第一指導者である私が出演しました。そこで、ハルパ氏の発言は、「ノー」の勝利を認めることから始まったのです。
 その高潔なふるまいが、いかに果敢なものだったか、神のみがご存じです。魂が、私たちの肉体に帰ってきたのです。チリは、民主主義に復帰し始めたのです。平和な手続きで、国民の自由な意思で。

1
9