Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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一 宇宙における人間の位置  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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4  心の〈現実〉とがかわる宇宙論
 池田 博士の説で貴重なのは、「人間もその歴史も、宇宙との関係を離れて論じることはできない。宇宙と人間は一体であり、地上の人間の歴史も天空からの影響を深く受けている」ことを、現代人に思いださせる点でしょう。
 ともすれば人間の歴史を、人間の世界の枠内に限定して論じる傾向がありますが、これは人間のおごりの一つの表れでしょう。しかし、それでは決定的なところで、歴史の真実をとらえそこなう危険性があります。
 仏教は、宇宙をふくむ環境と人間が不可分であることを、「依正不二」論として説いています。これについては後ほど、くわしく論じ合いたいと思います。
 仏教の歴史観は、〈人間に対する宇宙の作用〉と〈宇宙に対する人間の作用〉の両面を見つめつつ、トータル(総合的)に歴史の実相に迫るものです。
 博士 仏教の再生を行った日蓮大聖人の活躍された十三世紀ころも、地球全体としては彗星の衝突は多くありません。宇宙の本質、生命の本質に思索をこらすには、ふさわしい時代だったのかもしれません。
 池田 ただ大聖人の時代の日本は、「天変地夭てんぺんちよう飢饉疫癘ききんえきれいあまねく天下に満ち広く地上にはびこ」という状況でした。自然災害、異常気象、伝染病など、病める国土、病める社会を変革するために、大聖人は根本である宗教の変革を断行されたわけです。
 ところで、お話をうかがっていて思いだすのは、戸田第二代会長の言葉です。
 恩師は「数万年前に、地球にはすでに高度に発達した文明が存在した可能性が論じられているが、否定はできない。その文明がなぜか滅亡し、人類は未開の状態にいったん堕ちて、そしていま再び文明の繁栄をむかえているのかもしれない。そういうサイクルが考えられる。
 問題は、文明を滅ぼす原因はいったい何かということだ。天災なのか、戦争なのか、その他の理由か、これを人類は十分に思索しなければ、また同じ悲劇を繰り返しかねない」と憂慮していました。
 もちろん、以前に起きたから、また同じことが起きるとは限りません。しかし、一つの周期の存在、またある程度の傾向性、方向性は研究の対象になるでしょう。また、それを考えたのが仏教なのです。
 博士 たいへん興味深いお話です。
 池田 現実ばなれしているかのような宇宙論も、実はさまざまな意味で、人間の心の〈現実〉と深いかかわりをもっているのです。
 博士 よくわかります。人間は天体望遠鏡をもたなくても、宇宙の理法を発見することができる。それを発見する〈方程式〉を胸中に秘めているのです。仏教発祥の当時には、現代におけるような優れた観測機器や高度な研究がなかったにもかかわらず、人々は内と外との宇宙への道を把握していました。それも現代では見失われていますが。
 池田 そのとおりです。そして、それは生命という根本への無関心にも通じています。そこで、生命とは生死を繰り返しながら永遠に存続する実在であるという仏教の考え方について、博士はどのように思われますか。
 博士 たとえば、死後はまったくの〈無〉であるとする思想もあります。しかし、私の考えは違います。もし生命が今世限りのものとするならば、より深く、より価値ある人生を生きようとすることは無意味となるでしょう。
 じつは実証科学の立場からは、〈死後の生命〉を否定する根拠はまったくありません。現在のところ証明することはできませんが、数千年にわたって多くの賢者たちが強く主張してきた信念に対して、現在だけの知見からそれを性急に否定することは、誤りであり傲慢であると思います。自分の直感としては、仏教で説く〈生命の永遠〉の教えには多くの真理が含まれています。
 池田 たしかに現代の世界的危機や科学的実証主義のなかには、残念ながら人間の傲慢が横たわっているように思える部分があります。まさにこの人間の傲慢こそ、真理と平和への脅威であり、それとの戦いを忘れてはならないと思います。

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