Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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本部代表者会議 永遠の発展の土台を今

2006.3.4 スピーチ(2006.1〜)(池田大作全集第100巻)

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3  同志に「ありがとう」と心から感謝を
 以前も申し上げたが、組織は「上」から腐る。上の幹部が要領を使い、威張ってばかりいたら、全体が腐ってしまう。人材も育たない。
 それでは皆がかわいそうだ。そういう幹部は、下から声をあげて突き動かしていくことだ。
 権威を笠に着るのは″魔物″の存在だ。
 学会は最高の「人間の世界」である。清らかな信心の世界である。全員が平等である。
 学会のため、広宣流布のため、同志のために、どれだけ働いたか――ただ、それだけが、その人の「偉さ」を決める。不惜身命の行動をした人を、日蓮大聖人は御賞讃くださるのである。
 会員のために尽くすのが学会の本当のリーダーである。会員に尽くすことが、御本尊に尽くすことになる。それが広宣流布に尽くすことになるのである。
 自分は偉くない。偉いのは、広布へ戦う同志である――そう心から思って、「ご苦労さまです」「ありがとうございます」と讃え、感謝していくのだ。
 そして、幹部は仲良く、たがいに心を合わせ、力を合わせて、異体同心で進んでいただきたい。
4  全生命を賭して広布へ
 ここで、戸田先生のご指導を紹介したい。先生は言われた。
 「外へ出れば、一人であっても、学会全体を代表しているのである。個人ではない。学会の代表という責務に立たねばいけない」
 この自覚が大切だ。
 また、先生は「貧相な姿では、立派な外交の仕事はできない」とも言われていた。戸田先生は、こういうところにも気を使われた。貧相では、バカにされる。それだけで負けてしまう。
 先生は叫ばれた。
 「臆病者は学会から去れ! 意気地なしは学会から去れ! 学会と生死を共にする者だけが真実の同志だ」
 そのとおりだ。臆病者の集まりでは広宣流布はできない。世界広布はできない。
 今、私は全生命を賭して世界広布のために戦っている。ただ広宣流布のため――その責任を担う私の人生には、自分の楽しみなどはなかった。
 第三代会長に就任した時に住んでいた小林町(東京都大田区)のわが家は、たいへんに質素だった。私の家を訪ねてきた人が、気付かずに通り過ぎてしまう。それくらいの小さな家だった。
 昭和四十一年(一九六六年)に、信濃町に引っ越しをした。その自宅もまた、質素なものである。
 私は、私財もなげうって広布を支えた。血のにじむような努力をして、恩師の教えのままに、すべてを学会に捧げてきた。これほど尽くしてきた弟子は、ほかにいない。
5  人間として、最高に価値ある道
 戸田先生は言われた。
 「生きるということは、仕事をするということだ」
 真の仕事とは広宣流布である。広宣流布のために真剣に尽くしていくことで、人間としての最高に価値ある道を歩んでいけるのである。
 先生はまた、「戦いは迅速であれ」と指導された。そして「闘争の最後は粘りである」とも。私は十九歳で戸田先生に師事して以来、先生からいただいたご指導の急所は、すべて頭に入っている。さらに、先生のご指導を紹介したい。
 「敵を攻める時には、敵の実情を知らなくてはならぬ」
 「何ものも恐れるな。何事も理性的、理知的であれ。そして、敵味方を峻別せよ」
 「戦は一気にやるものではない。押したり引いたりしながら、割り入って行くのである」
 敵の実情を知れ。何ものも恐れるな。いずれも戦の要諦である。臆病では勝てない。大切なのは誠実と勇気だ。そして勝利を得ることができなければ、外交の意味がない。
6  正義の言論で勝利の歴史を
 先生は、こうも語っておられた。
 「今、われわれの広宣流布の運動は、社会のあらゆる面にわたって行う戦いである。政治、経済、文化、教育という、立体的な戦いになってくる。いかなる強敵が現れても、微動だにするわけにはいかないのだ」
 「相手の誤謬や弱点、矛盾などの過誤を明らかにし、いかに正しき論点まで引っ張り上げられるかが言論の力だ。説得力とは、この力なのだ。主張だけしていては、ケンカはできても、説得によって、相手を心から降参させることはできない」
 一つ一つ具体的に教えてくださった。私はそのとおりに戦ってきた。勝利の歴史を築いてきた。先生は叫ばれた。
 「中傷であれ、面罵であれ、雲がわくように起きてこよう。誤解されたうえに、曲解も重なるだろう。本当の戦いはこれからだと立ち上がり、敢然と突き進もうではないか!」
 戸田先生は、悪に対しては容赦なかった。悪意に満ちたデマとは、正義の言論で断固、戦えと教えられた。幹部が臆病で、難を恐れて、敵と戦わない。こんなずるいことはない。
 日蓮大聖人は、たび重なる讒言によって命に及ぶ大難を受けられた。デマによって、悪名を流された。迫害の連続であった。御聖訓には、こう仰せである。
 「もし恩を知り、心ある人々であるならば、(大聖人が)二回、杖で打たれるならば、そのうち一回は代わって受けるべきではないだろうか」(御書1450㌻、通解)
 大聖人は、一切衆生の救済のために立ち上がられた。そのお心を知るならば、難の半分は代わっで受けるべきだとの厳しき仰せである。この御文を深くかみしめていかねばならない。
 戸田先生は、こうも指導された。
 「裏切られたり、足をさらわれたり、ひどい目に遭って、人を見る眼も肥えていく」
 「人間は感情の動物である。一人一人の心を、どうとらえていくかが大事だ」
 「時代の動向を肌で感ずることができれば、いかに時代をリードすべきかも、おのずから分かるようになってくる」
 本当に、先生は鋭かった。偉大なる民衆の指導者であった。
 それでは、どうかお元気で! 全員がすばらしい人生を生きぬいてほしい。
 そのためには、徹して戦いぬくことだ。中途半端では悔いを残してしまう。
 人材を育て、多くの後輩たちの道を開くのだ。自身のため、そして家族のためにも、誇りある闘争の歴史を残していただきたい。
 きょうは、本当にありがとう!
 (創価文化会館)

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