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日蓮大聖人・池田大作

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全国代表協議会 広宣流布は青年で決まる

2006.2.23 スピーチ(2006.1〜)(池田大作全集第100巻)

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7  フランスの思想家ヴォーヴナルグの箴言に、こうある。
 「狡く立ち回ってつかみ取った評判は、軽蔑に変る」(『省察と箴言』内藤濯訳、創元社)
 皆さんは、こういう人間に、決してなってはいけない。どんなにうまく立ち回ってみたところで、虚像は虚像である。メッキは、いつかはがれるものだ。そのほうが、かえって軽蔑される。
 誠実一路、真実一路を貫いてこそ、本当の信頼は得られる。
 十九世紀のスペインで、人権のために時った女性、コンセプシオン・アレナルは言った。
 「失敗から立ち上がる人は、失敗を犯したことのない人よりも偉大である」(″Cartas a los delincuentes″, Alicante : Biblioteca Virtual Miguel Cervantes, Obras Comletas de Concepcion Arenal;3, Libreria de Victoriano Suarez.)
 一面の真理をついている。だれしも、失敗することはあるだろう。挑戦に、失敗はつきものである。何も行動を起こさなければ、失敗することもない。大事なのは、失敗したとき、ふたたび勇気を出して、立ち上がることだ。倒れても、倒れても、不屈の魂を燃やして前に進み続けるのだ。人生の勝負は、最後で決まる。
 もう一つ、アレナルの言葉を贈りたい。とくに、女性の皆さんに。
 「自分自身を向上させない幸福は、本物の幸福とは言えない」(Concepcion Arenal : Obras Completas, Tomo 2, Atlas.)
 深くかみしめたい言葉である。外面的に、いかに幸せそうに見えても、本当に幸せかどうかは、分からない。物質的、環境的に、どれほど恵まれたとしても、幸福とは限らない。自分自身が、人間として成長する。境涯を高める。心を磨き、心を鍛える。それが、幸福の根本である。私たちは、「本物の幸福」を最高に味わえる、偉大な仏法を持っている。その誇りと確信を忘れてはいけない。
8  正義の声で悪の根を断ち切れ
 ここで、御書を拝してまいりたい。大聖人は、門下のなかで、大聖人を裏切り、退転していった者の特徴について、こう仰せである。
 「臆病で、教えたことをすぐ忘れ、欲が深く、疑いが多い」(御書1191㌻、通解)と。
 また、こうも言われている。
 「能登房は、現実に味方であったが、世間の恐ろしさといい、欲深さといい、日蓮を捨てただけでなく、敵となったのである」(御書1225㌻、通解)
 現代も、方程式は、まったく同じである。
 見栄ばかりで、本当の信心を貫く勇気がない。そして、学会を利用するだけ利用して偉くなるや、慢心を起こして、学会と同志を見下す。純粋な信心を失って、最後は退転し、反逆する――そういう醜い忘恩の輩がこれまでもいた。
 その本性は、「臆病」であり、「愚か」であり、「貪欲」であり、「不信」である。こうした人間をのさばらせては、まじめな同志が、かわいそうである。広布の邪魔になるだけである。ゆえに、正義の声で徹して糾弾し、責めて責めて責めぬいて、その悪の根を断ち切っていかねばならない。
 戸田先生が「これは、よく拝しておけ!」と何度も厳しく、おっしゃった御文がある。
 それは、「竜の口の法難」の日の大聖人の御様子が認められた「種種御振舞御書」の一節である。
 「日蓮は大高声で彼らに言った。
 『なんとおもしろいことか、平左衛門尉がものに狂った姿を見よ。おのおのがた、ただ今、日本国の柱を倒すのであるぞ』と叫んだところ、その場の者すべてがあわててしまった。
 日蓮のほうこそ、御勘気(公権力によるとがめ)を受けたのであるから、おじけづいて見えるはずであるのに、そうではなく、逆になったので、『この召し捕りは悪いことだ』とでも思ったのであろう。兵士たちのほうが顔色を変えてしまった」(御書912㌻、通解)
 この大確信こそ、堂々たる姿で、仏法に殉じられた牧口先生、戸田先生の魂である。そして、その不二の弟子たる私の魂にほかならない。
 創価三代の師弟は、この不惜身命の大精神で戦った。そして勝ってきた。この重大なる一点を、学会の後継ぎである青年部の諸君には、はっきりと申し上げておきたい。
9  すべては青年に託す
 スイスの大教育者。ペスタロッチは、みずから創立した学園の友に、こう呼びかけた。
 「青年のみなさん、みなさんによってわたしたちの学園の真価が証明されるわけです」(「新年講演」佐藤正夫訳、長田新編集校閲『ペスタロッチー全集』10所収、平凡社)
 創価学会も、本当の価値が分かるのは、「今」ではない。「未来」である。青年部の諸君の時代である。広宣流布は、青年で決まる! すべては、青年に託すしかないのである。
 そのために私は、人知れず、未来を構想し、さまざまな手を打っている。君たちの時代のために、広宣流布の完壁な土台だけは、築いておくつもりである。
 同じくぺスタロッチは叫んだ。
 「信仰がひとを強くし、希望がひとを向上させるのです」(同前)
 信仰の強き人が幸福である。希望を失わ在い人が最後は勝つ。それが仏法の生き方である。わが創価の常勝の人生である。これからも、ともどもに、何でも自由に語り合いながら、一緒に歴史をつくり、残していこう!
 最後になるが、とくに青年部の諸君は、お父さん、お母さんを大切にしていただきたい。心から感謝の気持ちを伝えていってもらいたい。たまには、何かおみやげでも買って帰ってあげてください。離れて暮らしている人も、何かしてあげてほしい。よろしく頼みます!
 皆さん、長時間、本当にご苦労さまでした。ありがとう!
 お元気で!また、お会いしましょう!
 (創価文化会館)

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