Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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欧州代表協議会 青年よダイヤモンドのごとく輝け

2006.1.7 スピーチ(2006.1〜)(池田大作全集第100巻)

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15  セネカ「忘思は重大な悪徳」
 四十五年前、「永遠の都」ローマを訪問したことも懐かしい。
 古代ローマの第哲学者セネカが、「恩」について論じている。
 「報恩」の人生は美しい。「忘恩」の人生は醜い。恩に対する一念によって、人生は決定的に変わってしまう。
 トインビー博士も高く評価していた、古代ローマの初代皇帝アウグストウスの時代。皇帝は一人の貧しい男に力を貸した。やがてその男、グナエウス・レントゥルスは、「執政官」になり、国家の第一人者になった。
 セネカいわく「乙の男は自分の栄達のすべてを神皇アウグストゥス帝の恩義に被った」(『道徳論集』茂手木元蔵訳、東海大学出版会。以下、引用は同書から)
 にもかかわらず、男は、感謝するどとろか、恩ある皇帝への不満を口にしていた。
 「いつもアウグストゥス帝について不平を並べ、帝は自分を仕事から遠ざけようとしたなどと言っていた。帝が自分に施しているというよりも、むしろ自分のほうが能弁を捨てるという損失を被ったとも言っていた」
 人間は慢心によって、人生の軌道を狂わせていくものだ。高慢の罪は立場が重くなり、責任が大きくなるほど、戒めていかねばならない。この男は、のちの皇帝によって、自殺に追い込まれたうえに、財産も取りあげられるという悲惨な末路をたどった。セネカは語る。
 「自分たちのために最も良く尽してくれた人々のことを、最も悪く言う者たちもいる」
 「忘恩は重大な悪徳であって、われわれの堪えがたいもの」である。
 恩知らずになる最大の原因は何か。セネカは鋭く喝破している。
 「その原因は余りにも自分を過信することであるか、自分自身や自分のことを自惚れるという人間生来の欠点であるか、あるいは貪欲であるか、あるいは嫉妬である」
 自惚れ、貪欲、嫉妬――学会に恩を受けながら裏切っていった者たちも、ことどとく、こうであった。
16  仏法とは″報恩の人間学″
 セネカは、「報思」について、どこまでも厳格であった。
 「恩知らずの種類は多い」「恩恵を受けたが、受けたと言わない者は恩知らずである。恩恵を受けなかったように偽る者も恩知らずである。また恩むに報いない者も恩知らずであるが、しかし何と言っても一番の恩知らずは、恩を忘れた者である」
 「恩知らずの者たちには、弁解の余地を閉ざさねばならない」
 思えば、私が友情をはぐくんだヨーロッパの方々は、ひとたび結んだ友情は絶対に裏切らないという厚い信義で、共通していた。人が何を言おうと、わが信念を貫くという「屹立した人格」があった。ヨーロッパの方々との友情は、私の人生の宝である。
 ともあれ、大聖人は「報恩」の生き方を繰り返し教えておられる。仏法とは、いわば″報思の人間学″である。ゆえに、忘恩、不知恩、背恩があれば、決して許してはならない。
 今月、サント・ビクトワール山(勝利山)に抱かれた、思い出深い南仏トレッツの研修道場で、「SGI欧州サミット」が盛大に行われる。これには、二十八カ国の同志が出席されると、うかがっている。
 さらに昨年は、新たに「欧州教学最高会議」が発足し、上級試験も実施された。今年の秋には、英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語の四言語で、欧州全体の任用試験が行われる。大成功を祈りたい。
 大聖人は、「諸法実相抄」で仰せになられた。何度も拝してきた御文であるが、もう一度、心に刻んでいきたい。
17  「行学の二道」の歴史を残せ
 「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし
 世界は「人間革命」の大哲学を待望している。自分なりの言葉でいい。誠実に、力強く、仏法の正義を語りぬいていくことだ。この御聖訓をいただいた最蓮房は、最優秀の知性派であった。どうか、ヨーロッパの皆さまは、世界の模範と光る「行学の二道」の歴史を残していただきたい。永遠の希望の城を築いていっていただきたい。
 きょうはありがとう!
 お帰りに、なったら、わが愛する大切な同志に、くれぐれもよろしくお伝えください。
 誇り高く戦いきって、またお会いしましょう!
 (東京牧口記念会館)

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