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日蓮大聖人・池田大作

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各部合同研修会 さあ人間の中へ! 勝利の突破口を開け

2005.8.6 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

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13  釈尊の時代、提婆達多にたぶらかされて狂ったマガダ国の阿闍世王は、釈尊を迫害した。それを真っ向から誡めたのが、「医王」と讃えられた耆婆ぎばである。ドクター部の皆さんの大先輩である。
 耆婆は阿闍世王のもとで、大臣も務めていた。
 御書には、「いまにも国が滅びようとしたとき、阿闍世王は、耆婆の勧めなどによって、提婆達多を打ち捨て、釈尊の御前に参上し、さまざまに今まで犯した罪を、お詫び申し上げた」(一一四九ページ、趣意)と記されている。
 阿闍世王が心を改めると、他国からの侵略もやみ、マガダ国には平和が訪れた。みずからも大病を乗り越え、寿命を大きく延ばした。釈尊滅後には、仏典の結集にも貢献していったと伝えられている。
 勇気ある一人が、真剣に祈り、信念の行動に打って出れば、状況は、がらりと一変する。
 ともあれ、ドクター部の使命は大きい。
 釈尊在世には提婆達多と戦った耆婆がいた。大聖人の時代には、名医である四条金吾が極悪の良観らと厳然と戦った。ゆえに私は、ドクター部に期待したい。
 最前線で戦うわが同志の健康を断じて守る「勇気と強さの光」たれ!
 みずからが正義の炎を燃やしゅく「時代変革の柱」たれ!
14  心を変革することが仏法
 人生において、さまざまな悩みにぶつかることもあるだろう。どうにもならない現実に直面することもあるにちがいない。
 しかし、同じ状況にあっても、ある人は、生き生きと進む。ある人は、嘆き、悲しむ。喜びというのは、心が感じるものだからだ。
 この人生を、喜んで、楽しんでいければ、その人は「勝ち」である。ゆえに、大事なのは、心を変革することだ。これが仏法である。
 人が見て、どうかではない。皆がうらやむような境遇でも、不幸な人は少なくない。
 心が強い人。心が賢明な人。心がたくましい人。心が大きい人。その人は、何があっても、へこたれない。
 「心こそ大切なれ
 ここに幸福の根幹がある。それを打ち立てるのが妙法なのである。
 大聖人は、「真実に、すべての人が、身心の難を打ち破る秘術は、ただ南無妙法蓮華経なのである」(御書1170㌻、通解)と断言されておられる。
 幸福とは、たんなる言葉ではない。物でもない。財産や地位や名声で、幸福は決まらない。
 まず題目をあげることだ。そうすれば、生命力がわいてくる。
 何があっても楽しい。友人と語り、心ゆくまで題目を唱えながら、日々の一つ一つのことを、うれしく感じられる――。その姿に幸せの一実像があるといえよう。
 創価の運動は、この幸福の根本の軌道を教えているのである。
 信心に生きぬくならば、「生も歓喜」「死も歓喜」の人生となる。いかなる山も悠々と乗り越えて、楽しく、にぎやかに進んでまいりたい。
15  信心の戦いはすべてが喜びに、幸福に
 戸田先生は、「戸田の命よりも大事な学会の組織」と言われた。
 勢いにあふれた、楽しい会合。心が躍る、感激のある会合。それが大事である。
 そのためにも、幹部がいちだんと信心を深め、人間性を磨くことである。学会精神みなぎる前進であっていただきたい。
 また、組織を窮屈に感じることもあるかもしれないが、たとえ自由があっても、信心を忘れたならば、結局は不幸になってしまう。
 信心の戦いは、大変であっても、全部が喜びになる。必ず幸福になる。ここに人生の勝利の方程式があるのだ。
 御聖訓に「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」と仰せである。
 信心即行動である。日々の奮闘の中で、御書を一行でも二行でもいいから、拝していくことだ。
 朗らかに、また朗らかに進もう! ともに勝利しよう!
 (長野研修道場)

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