Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「5・3」記念祝賀代表者会議 会って語れば道は開ける

2005.4.15 スピーチ(2005.4〜)(池田大作全集第98巻)

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20  師弟不二の人生こそ「幸福の中の幸福」
 日蓮大聖人は「御義口伝」で教えておられる。
 「師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり
 「師」とは師匠(大聖人)、「子」とは弟子である。師匠と弟子が、ともに妙法を唱え、弘めゆくことが「師子吼」の意義であるとの仰せである。
 弟子が師匠に心を合わせれば、無限の力が生まれる。師と「不二の心」で貫く実践のなかにこそ、広宣流布の金字塔は輝く。
 たとえ、いい格好をして、人から、もてはやされても、「師弟の精神」を忘れた人間は皆、哀れな迷走飛行の人生となっている。これは皆さんがよくご存じのとおりだ。自分勝手な「師弟の道」などありえない。「広宣流布の道」、正しい「信心の道」を誤ってはならない。
 戸田先生は、天才的な指導者であられた。鋭き眼を持つ人であられた。先生の洞察力、人物を見抜く眼力は、すごかった。そして、あまりにも慈悲深く、同時に、あまりにも厳しき師匠であられた。
 その戸田先生から、私はすべてを学んだ。その戸田先生に、私はただ一人、仕えきった。不可思議な、妙なる師弟の絆であった。
 戸田先生の事業が失敗し、それまで先生にお世話になった人間までが、罵り去っていくような状況のなかで、私は、ただ一人、すべてをなげうって、先生を守りきった。苦労の連続で、不幸中の不幸のように見えたかもしれない。しかし、まさに、その苦闘の日々こそが、栄光輝く「幸福中の幸福」の人生を開く不滅の原点となった。これが信心の力である。これが師弟不二である。
21  「陰徳」は必ず「陽報」
 大聖人は、四条金吾にあてた御手紙で仰せである。
 「主君から度々いただいた所領を返上して、今また所領を給わったということは、これほど不思議なことはない。まったく陰徳あれば陽報ありとはこのことである」(御書1180㌻、通解)
 金吾は法華経の信心ゆえに、領地の没収や追放の危機にさらされた。大聖人を憎む悪僧の良観や、金吾を妬む同僚が、主君である江間氏に讒言し、金吾をおとしいれようとしたからである。そうした一切の迫害をはね返して、金吾は主君から、いっそう深い信頼を勝ち取った。そして、新たな領地を授かるまでになったのである。
 どれほど嘘をつかれ、悪口を浴びせられようとも、最後は必ず勝つ。堂々たる「勝利の実証」を示す。これが偉大な妙法の功徳である。
 広布のために尽くし、戦った功徳は絶大である。「陰徳」があれば、必ず「陽報」となって現れる。学会は、この因果の理法に完壁に則っているがゆえに、一切を勝ち越えてきたのである。
 ともあれ、わが同志の皆さまは、広宣流布のため、立正安国のために、尊き陰徳の活動に徹しておられる。人々のため、社会のため、未来のために活動しておられる。皆さまが、絶対に負けるわけがない。必ず、勝利の陽報に包まれていくことは、間違いない。
 私は、全同志の健康と幸福と勝利を、毎日、一生懸命、祈っている。ともどもに、いちだんと勇敢に、忍耐強く、緻密に勝ち進んでいくことを決意しあい、スピーチを結びたい。
 大切な、各地域の同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください。
 どうか、ますますお元気で! 創立七十五周年の五月三日を、晴ればれと迎えましょう!
 (東京・信濃文化センター)

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