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日蓮大聖人・池田大作

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総神奈川最高協議会 行動なくして「栄光の叙事詩」もなし

2001.5.26 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

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8  世界第一の法華経の味方に諸天の加護
 神奈川といえば、私には、いずこも思い出が深い。現在の神奈川の十七分県はすべて、私自身、足を運び、皆さまと一緒に歴史を残した天地である。
 私は、尊き神奈川の同志と、一人また一人、一軒また一軒と、ひざづめで語りあい、心と心を通いあわせながら、広宣流布の波動を広げてきた。また、神奈川文化会館を拠点として、世界の知性と「平和と文化と教育の対話」を、一回また一回と積み重ねてきた。
 大聖人は、四条金吾への御手紙で、こう仰せである。
 「(あなたは)兄弟にも捨てられ、同僚にも敵視され、江間家の子弟からもいじめられ、日本国の人々にも憎まれてきた。けれども、去る文永八年の九月十二日の子丑の時刻に日蓮が御勘気(竜の口での斬罪)を蒙ったさいに、馬の口にとりついて鎌倉を出て、相模の依智まで供をしてこられたことは、世界第一の法華経の味方をしたのであるから、梵天、帝釈も捨てられなかったのであろう。仏におなりになることも、これと同じである」(御書1184㌻、通解)
 この御聖訓のとおり、仏意仏勅の創価学会も、近年の大難のなか、世界第一の法華経の味方として、日蓮大聖人の直系として戦いぬいたゆえに、梵天、帝釈の絶大なる加護を受けた。世界が学会を支持し、賞讃する時代となった。
 この学会とともに、勇敢に広布に生きぬく皆さまが、一人も残らず、一生成仏という「永遠の幸福の軌道」を上昇していかれることは絶対に疑いない。その世界の模範の実証が、わが神奈川家族なのである。(拍手)
 思えば、昭和五十四年の五月、第一の「七つの鐘」の鳴り終える時を、私は神奈川の友と迎えた。そして今、新しい第二の「七つの鐘」を、縁深き神奈川の宝の同志とともに、私は高らかに、また、にぎやかに打ち鳴らしてまいりたい。
 明年は、大聖人が立宗宣言(一二五三年)をなされた後、ここ神奈川で末法万年尽未来際への法戦を開始されてから、七百五十年目の大いなる佳節となる。大聖人が厳として皆さま方を守っておられる。それを確信し、神奈川の大勝利の道を今こそ開いていただきたい。
9  虚栄なき「無冠の民衆」こそ最強
 大聖人は、神奈川の門下である四条金吾に、法華経の行者は、万年の齢をたもつ「松」のごとき「久遠長寿の如来」であると示されている。
 松の木は、枝を曲げられても微動だにせず、常緑の光彩を増していく。いかなる難が競い起ころうとも、あの松の本のように、強き信念で、明るく、決然と、いやまして前進していくことだ。
 そこにこそ、久遠の妙法とともに、自分自身の生命が、いよいよ赫々と光り輝き、永遠の大福運が積まれていく。
 虚栄をかなぐり捨てた人間は強い。それが信仰者の生き方である。
 つくろわず、はたらかさず、ありのままに、広宣流布のために生きぬく人生こそ、もっとも尊く、もっとも偉大である。いざという時にも腹がすわり、朗らかなのは、無冠の民衆なのである。
 今回は、急遽の訪問のため、代表の方々のみとの懇談になったが、各県の同志の皆さま方に、くれぐれも、よろしく、お伝えいただきたい。
10  皆さまは、新しき世紀を創るリーダーである。
 中国の『史記』には、「人の心をつかむものは栄え、人の心を失うものは滅びる」(司馬遷『史記列伝』I、貝塚茂樹・川勝義雄訳、中央公論新社)とある。
 古代ギリシャの哲学者プラトンは言った。
 「ただの一人をでも十分に説得したならば、すべての善きことを私は仕遂げたことになるだろう」(『プラトン書簡集』山本光雄訳、角川文庫)
 ガンジーは言う。
 「勇気こそ、人格の基礎の確固としたものの一つである。勇気がなければ、道義はなく、宗教もなく、愛もない」(「ガンジー自叙伝」蟻山芳郎訳、『世界の名著』63所収、中央公論社)と。
 断固として戦い、歴史を残し、すばらしき人生を飾っていただきたい。
 大聖人は流罪の佐渡の地から、鎌倉の弟子一同に仰せである。
 「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり
 私も、神奈川の全同志のご健康、そして幸福と勝利を祈り、強盛にお題目を送り続けていく決心である。
 終わりに、あす(五月二十七日)の「神奈川婦人部の日」を記念し、
  神奈川の
    広布の母に
      長寿あれ
  
  神奈川の
    偉大な母に
      幸光れ
 と、つつしんでお贈りし、私の記念のスピーチとさせていただく。
 (神奈川文化会館)

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