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日蓮大聖人・池田大作

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第六回本部幹部会、第二回全国婦人部幹部… 胸を張れ! 民衆よ立ち上がれ!

2001.5.21 スピーチ(2000.11〜)(池田大作全集第92巻)

前後
13  御聖訓には、「法華経の敵を見ながら、そのままにしておいて責めなければ、師も檀那も、ともに無間地獄に堕ちることは疑いない」(御書1056㌻、通解)と仰せである。
 戸田先生は、この御文を何度も拝し、″悪とは完膚なきまで戦うのだ″と教えてくださった。
 また五十年前、戸田先生が会長に就任された昭和二十六年の八月、先生は、草創の幹部のお宅に手紙を送られた。
 「永遠の生命をみつめる時、今世の小難なぞなんですか。永遠の生命の幸福境に住むのが成仏です」「今、学会人は各支部、火の様な働きです。皆、信心が基準です。坊さんにほめられたがる者は絶対に捨てなさい」
 これが戸田先生の指導であった。つねに先の先を見ぬいておられた。
 さらに御書には、経文を挙げて「悪い坊主と戦う精神」を教えておられる。そして、「正法をよく護持したゆえに、(釈尊は)金剛身を成就した」ことを示されている。(御書28㌻、68㌻)
 金剛身とは、何ものにも壊されない仏の生命のことである。だからこそ、「悪い坊主と戦え!」と言うのである。
 小町さんは、大聖人の仰せのままに、勇敢に戦ってこられた。公明党の市会議員としても、地域に貢献され、たいへんに慕われていた。議員を引退されたあとも、後輩のため、同志のため、学会のために、一生懸命、大誠実の行動を貫き通してこられた。ここが偉いと思う。引退した後に、人間の真価がわかる。
 葬儀には、千数百人もの方々が集われたと、うかがった。地域の有力者の方々も弔問に訪れ、人柄を偲んだという。最期まで、対話、対話、対話の日々。それが、これほどの宝の友情を広げた。
 生命の財宝は、信心しかないのである。
14  四十六年前、一族のなかでただ一人信心を始められた。今、三男二女のお子さん、十三人のお孫さん、十一人の曾孫の皆さん、その全員が信心に励み、学会の幹部として、学会員として、広布の庭で、堂々と戦っておられる。(拍手)
 また、そのなかには創価教育に学ばれた方も多く、一族だけで「創価同窓の集い」が開けるほどであるという。
 「信心の継承」の厳然たる模範である。それを見事に示し遺された。「親から子へ」信心を伝えてこそ、真の信仰者の姿であると私は思う。
 私は、小町さんの訃報を聞いて、すぐさま和歌を詠んだ。
  偉大なる
    王者の如き
      あなたをば
    我らは慕い
      帰るを待つらむ
    狛江の大勝利の指導者たる大兄に捧ぐ
 小町さんは、永遠に忘れ得ぬ同志である。
15  終わりに、先哲の英知の言葉を贈りたい。文豪ゲーテ。
 「派手に光るものは、ひと時かぎりのもので、本ものは、後世までも滅びることがないのです」(『ファウスト』相良守峯訳、岩波文庫)
 アメリカの思想家エマーソン。
 「忍耐また忍耐を重ねることによって、私たちはついには勝利を得ることができるであろう」(『エマソン選集』3、小泉一郎訳、日本教文社)
 これが創価学会の勝利の歴史である。
 フランスの文豪ユゴーは、不正の為政者を糾弾した書につづった。
 議員の義務とは何か。それは「一人残らず立ち上がって、体をはり、敵の人数も力もものともせず、議員は国民の主権を守るということだ」(「小ナポレオン」庄司和子・佐藤夏生訳、『ヴィクトル・ユゴー文学館』8所収、潮出版社)と。
 そして、キューバ独立の父ホセ・マルティの言葉――「決定的なときに優柔不断であることは罪だ」(「私は祖国を与えにやってきた!」後藤政子訳、『ホセ・マルティ選集』3所収、日本経済評論社)と申し上げ、記念のスピーチとさせていただく。
 長時間、ありがとう!
 (東京戸田記念講堂)

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