Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国代表研修会(第1回) 君よ挑め!「広布の山」へ

1997.1.31 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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8  「我、日本の柱なり」――日蓮大聖人は、繰り返し、叫ばれた。
 「日蓮は日本国のはしらなり日蓮を失うほどならば日本国のはしらを・たをすになりぬ」――日蓮は日本国の柱である。日蓮をなきものにすれば日本国の柱を倒すことになる――と、時の権力者・平左衛門尉はじめ数百人の押し寄せた兵士たちに叫んだ。
 「日蓮は日本国の棟梁なり予を失なうは日本国の柱橦はしらを倒すなり」――(平左衛門尉らに向かっていわく)日蓮は日本国の大将である。私をなきものにするのは、日本国の柱を倒すことである(必ず滅びることになる)――。
 今から七百二十六年前(文永八年=一二七一年)、日蓮大聖人の庵室に、平左衛門尉が数百人の兵士を引き連れて逮捕にやってきた。その裏には、悪僧・良観がいた。
 彼は、大聖人に醜い正体を明らかにされ、乱れた生活を皆に知られた。そして、権威を失墜させられた復讐に、権力者に泣きついたのである。
 また権力者のほうも、自分たちを批判する大聖人の勢力が、どんどん大きくなることに我慢ならなかった。
 蒙古襲来の予言が当たったので、このころ、信者が急速に増えたのである。いわば「この人(大聖人)に、日本の進むべき道を教えてもらうしかない」と。この時、大聖人の言葉に謙虚に耳を傾ければいいものを、権力者は反対に大聖人をなきものにしようとした。
 少人数の大聖人を捕らえるのに、数百人も連れてきたほど、なりふりかまわぬ狂いであった。
9  正義は広がる、″声″の力で
 大聖人は悠々と、大声で叫ばれた。
 「あらをもしろや平左衛門尉が・ものにくるうを見よ、とのばら殿原但今日本国の柱をたをす」――ああ面白(おもしろ)い。平左衛門尉が、ものに狂うを見よ! 貴殿らは、ただ今、日本国の柱を倒しているのだぞ!――。
 すると「これはひがことなりとや・をもひけん、兵者どものいろこそ・へんじて見へしか」――兵隊たちは驚き、あわてて、顔色を変えた。我々は、まちがったことをしているのかもしれない――。
 捕らえられる大聖人のほうが顔色を変えるのでなくて、反対であった。大声で言い切る勇気が、正義には必要である。
 大聖人が叫ばれたごとく、鎌倉幕府はこのあと、急速に衰退し、滅亡していった。平左衛門尉も、一族もろとも滅んだ。
 この時、「ものに狂っていた」平左衛門尉は、ある意味で、すでに仏罰を受けていたとも言えよう。何も正しい判断ができなくなっていたからである。
10  この事件(竜の口の法難・佐渡流罪――発迹顕本)から、ちょうど六百年後(一八七一年=明治四年)、佐渡のある新潟に、牧口先生が生まれた。
 そして、不思議なる仏勅の団体、創価学会を創立されたのである。不可思議のリズムである。
 牧口先生は言われた。「所詮宗教革命によって心の根底から建て直さなければ、一切人事(人間社会に起こること)の混乱は永久に治すべからず」と。
 戸田先生は叫ばれた。「創価学会こそ日本の柱である」と。
 そして今、「世界の希望」となっている。この偉大なる学会とともに生き抜く皆さま方も、また不思議なる方々である。どれほど深き使命があるか、計り知れない。
 その誇りに燃えて、どうか「あの人を見よ、あの模範の指導者を見よ」と慕われる自分自身に成長していただきたい。

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