Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第3回本部幹部会 万年の勝利へ 人間王者の歴史!

1996.9.26 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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15  たとえば「日妙聖人」。鎌倉在住の無名の婦人信徒である。今の″婦人部″の方々である。日妙聖人は、大聖人を慕って、はるばる鎌倉から佐渡を訪ねている。しかも、幼子を連れての大変な旅であった。
 大聖人は「相州鎌倉より北国佐渡の国・其の中間・一千余里に及べり、山海はるかに・へだて山は峨峨・海は濤濤・風雨・時にしたがふ事なし、山賊・海賊・充満せり、宿宿とまり・とまり・民の心・虎のごとし・犬のごとし」――相州の鎌倉から北国の佐渡の国までその中間は一千余里におよんでいる。山海をはるかにへだて、山は峨々としてそびえ、海は滔々として波立ち、風雨は時節にしたがうことがない。山賊や海賊は充満している。途中の宿の民の心は虎や犬のようである――と、命がけの旅であったことを思いやられている。
 大法難の渦中である。多くの弟子檀那が難を恐れて信心を捨て、退転していった。そのなかで日妙聖人は、懸命に信心を貫いた。その志と行動を、大聖人は「日本第一の法華経の行者の女人なり、故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらへん・日妙聖人等云云」と最大にたたえられ、「日妙聖人」の名を贈られたのである。
 志は、「まことの時」にこそ表れる。逆境の時の行動によって、その人の「真価」がわかる。そのことを大聖人は、きちっと見極めておられた。
 「聖人」等の名前を贈られたのも、その門下が順調な時ではない。逆境の時にこそ差し上げられている。本当に、すごい仏様であられる。
 反対に、大事な時に信心を捨ててしまう愚かな人間のことを、「開目抄」には「つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」――拙い者の常として、約束したことを、まことの時には忘れてしまうものだ――と仰せである。退転者、反逆者の姿である。
 また大聖人は、下総しもうさ(現在の千葉県・茨城県の一部)の信徒、大田乗明を「乗明聖人」とたたえられた。
 別の折には「身命よりも此の経を大事と思食す事・不思議が中の不思議なり」――あなた(大田乗明)が、ご自分の生命よりも法華経を大事と思われていることは、不思議の中の不思議です――と称賛されている。
 そういう不惜の信心の人であった。
 さらに大聖人は、佐渡の阿仏房を「阿仏上人」と呼ばれた。
 阿仏房は、佐渡で大聖人を支えた門下である。また高齢にもかかわらず、佐渡から身延を何度も訪れている。その求道の姿は、今の「多宝会」の方々と重なる。
 また、光日房(光日尼)という婦人門下には「光日上人」と。このほか「浄蓮上人」(浄蓮房)。駿河国興津の信徒である。また「妙密上人」、鎌倉在住の信徒である。
 そして南条時光には「 上野賢」と。
 これらは、いずれも、社会的には無名の在家の信徒である。難と戦った人々である。こういう人々にこそ大聖人は「聖人」「上人」「賢人」の名を贈られた。
 無名の在家の信徒――皆さま方である。我々のことである。
 御本仏が一信徒を、これほどまでに尊び称賛されている。なんと素晴らしいことか。これが日蓮仏法である。ここに本当の釈尊の精神もある。
 広宣流布に生き抜く私どもの戦いを、大聖人は必ず御照覧くださっている。三世十方の仏菩薩が絶対に守ってくださっている。心から、ともに「万歳」を叫ぼうではありませんか!(賛同の大拍手)
16  人間の尊貴は「心で決まる」「行動で決まる」
 大聖人が、出家の門下を「聖人」「上人」という称号で呼ばれたことは、御書には記されていない。
 ただし、日源という僧については「聖人なり」とたたえられている。自分が矢面に立ち、同志を守るために不惜身命で戦った僧である。
 また、後世の記録には、熱原の法難で戦った日秀、日弁の二人の僧に「上人」の称号が与えられたとある。(富要五巻)
 いずれにしても大聖人は、僧だからではなく、正法のため、民衆のために戦った人だから、たたえられたのである。高僧だから聖人なのではない。有名人だから賢人なのではない。人間が高貴であるかいなかは「心」で決まる。「行動」で決まる。
 ″この高貴なる人を見よ!″″この人を、たたえるのだ!″――これが大聖人の仏法の魂である。
 広宣流布に戦う皆さま方こそが、最高に尊く、最高に偉い方々なのである。
17  万年に輝く「生命の宮殿」を建設
 こんな話がある。一生懸命にレンガを運んでいる人たちがいた。
 ある人が声をかける。「何をしているのですか」
 一人が答える。「ただ、レンガを向こうへ運んでるだけだよ」
 別の一人は言う。「レンガで壁を造るんだよ」
 そして三番目の人は、こう答えた。
 「おれは宮殿を造っているんだ。そのために今、一つ一つレンガを運んでいるんだよ」
 質問した人は思った。
 ″レンガを運ぶ″姿は同じでも、心の中は、こんなにも違う。三番目の人だけが、「宮殿を造るんだ」と誇りをもっている。彼にとって、働くことは「自分の宮殿を造る」のと同じだな、と。
 私どもの日々の行動は、地味かもしれない。しかし、その一つ一つが、万年の「民衆の宮殿」を築いている。そして自身の「生命の宮殿」を建設し、立派に荘厳しているのである。
 いつも、本当に、ご苦労さま。くる日もくる日もの皆さまのご苦労を、私は最大にねぎらい、たたえたい気持ちでいっぱいである。
 今こそ、力を合わせて、万年の「勝利の道」を、万年の「栄光の城」を、万年の偉大なる「世界の塔」を、そして、万年にわたる「永遠の人間王者の歴史」をつくるために戦いましょう!

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