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日蓮大聖人・池田大作

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ニューヨーク文化会館の集い(2) 「自由人」とは「成長し続ける人」

1996.6.15 スピーチ(1996.6〜)(池田大作全集第87巻)

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1  文化の息吹あふれる「民衆の家」
 今回、優秀なニューヨークの同志が歴史を調べてくれたところ、この「ニューヨーク文化会館」の建物は、今世紀初頭から「ランド・スクール」という社会教育の機関であったという。建物の上には「民衆の家」とも掲げられていた。素晴らしい名前である。そして、この建物には、あのデューイ博士も、何回も講演に来ていたという。デューイ研究所(南イリノイ大学)からも、本日の会合に、真心こもるメッセージを頂戴した。
 かつてデューイ博士は、この会館でのスピーチで、こう語っている。
 「真実の文化は、想像力、知力、思考力という創造的な力を刺激するものであります。
 また、真実の文化は、既存の知的・審美的な作品を自在に鑑賞することだけでなく、それらを積極的に生み出すことも含みます。そうすることによって、知識と思想の水は、真の新鮮さと生気を保ち続けるのです」(Modern Thinker 1,May 1932)と。
  文化は刺激である。
  文化は生産である。
  文化は潤いである。
  文化は民衆のものである。
 このニューヨーク文化会館が、こうした「真実の文化の広場」として、また「民衆の幸福の家」として、新たな歴史をつづられることを期待している。
2  一昨日(六月十三日)は、全米を代表する「教育の城」コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジで、講演(「『地球市民』教育への一考察」)を行った。
 先日(六月四日)のサイモン・ウィーゼンタール・センターでの講演(「牧口常三郎――人道と正義の生涯」)とともに、今回は、牧口先生を宣揚する旅となり、これほど、うれしいことはない。
 今世紀の初めに、いちはやく、「将来の文明の統合・結合の地は、アメリカ合衆国である」と展望されていた牧口先生は、さぞかし喜んでくださることであろう。
 かつて戸田先生は言われていた。
 「牧口先生いて十回忌を迎えるが、これを記念して、全国の大学へ価値論を発表したい。反響の有無にかかわらず、三十年、五十年後に、必ず驚きの目を見はる者が出るだろう。あれほど真剣に社会に立脚した価値論である。偉大な人には見えぬはずがない。(中略)
 ただの一人でもよい、一人から万人に伝わるのを待つのみである。(中略)この価値論は、必ず世界的に広まるものと確信している」(一九五三年六月二十三日。『戸田城聖全集』第四巻)
 この戸田先生の悲願を、私は実現しゆくのみである。
 ちなみに、コロンビア大学での講演会場は、教室番号が百二十五番の教室と、うかがった。
 これまた、牧口先生の生誕百二十五周年を祝賀する、不思議な一致と言えるかもしれない。
3  日興上人の御確信が今、現実に
 有名なコロンビア大学出版局より、このほど英文『御書選集』の第二巻となる『日蓮書簡集』が発刊された。(「顕仏未来記けんぶつみらいき」「如説修行抄にょせつしゅぎょうしょう」「佐渡御書」をはじめ、門下に与えられた御手紙を中心に七十三編が収められている)
 翻訳してくださったワトソン博士、また、編集ならびに監修に当たってくださったヤンポルスキー博士はじめ、ご関係の方々に深く感謝申し上げたい。
 大聖人の御入滅後、違背の弟子である五老僧は、民衆にわかりやすく「かなまじり」で書かれた大聖人の御手紙をき返したり、火で焼いたりした。大聖人が、当時の民衆のため、そして万年の民衆のために書かれた宝の御手紙を、彼らは「先師の恥辱」と蔑視べっししたのである。
 これに対して、不二の弟子・日興上人は、こうした御手紙をすべて「御書」と呼ばれ、厳然と後世へ留めるために奔走された。
 日興上人は、師敵対の五老僧に向かって、こう宣言された。
 「本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し」――広宣流布の日には、この『かなまじりの文』が翻訳され、世界に伝えられるであろう――と。
 七百年の歳月を経て、まさに日興上人の大確信の通り、大聖人の御書が、ここニューヨークの偉大な知性の府・コロンビア大学からも発刊される時代となった。
 ニューヨークを舞台に、大聖人・日興上人の「師弟の正義」を証明できた喜びを、皆さまと分かち合いたい。
4  常に御書を拝し、御聖訓のままに行動していくことが、わがSGI(創価学会インタナショナル)の永遠の軌道である。
 今回の英文の『御書選集』にも収録されている、有名な御金言を拝したい。
 それは、遠く離れた佐渡で活躍する、婦人門下の千日尼への御手紙の一節である。
 「九界・六道の一切衆生・各各・心心かわれり、譬へば二人・三人・乃至百千人候へども一尺の面の内しちたる人一人もなし、心のにざるゆへに面もにず、まして二人・十人・六道・九界の衆生の心いかんが・かわりて候らむ、されば花をあいし・月をあいし・きをこのみ・にがきをこのみ・ちいさきをあいし・大なるをあいし・いろいろなり、善をこのみ悪をこのみ・しなじななり、かくのごとく・いろいろに候へども・法華経に入りぬれば唯一人の身一人の心なり、譬へば衆河の大海に入りて同一鹹味なるがごとく・衆鳥の須弥山に近ずきて一色なるがごとし
 ――九界・六道の一切衆生は、おのおの心が違っています。たとえば、二人、三人、ないし百人、千人いても、一尺(約三十センチ)の顔の中が真に似ている人は、一人もいません。心が似ていないから、顔も似ていません。まして二人、十人、六道、九界の衆生の心は、どれほど違っていることでしょう。すなわち、花を愛し、月を愛し、酸っぱいものを好み、苦いものを好み、小さいものを愛し、大きいものを愛し、いろいろです。善を好み、悪を好み、さまざまです。このように、いろいろですが、法華経に入ってしまうと、(全員が仏になるゆえに)ただ一人の身であり、一人の心です。たとえば、多くの川も大海に入れば、同じ塩味しおあじとなるように、また多くの鳥も須弥山に近づけば、同じ金色こんじきになるようなものです――。
 法華経は、人間の多様性を最大に尊重し、生かし、そして調和させゆく哲理である。それぞれの差異を認め合ったうえで、皆が平等に、自分自身を光輝あらしめていく。そして、麗しい「桜梅桃李おうばいとうり」の花園を築いていく。そのための源泉が妙法である。
 多様性に満ちたニューヨークは、ある意味で、地球の縮図であろう。そのなかにあって、わがニューヨークSGIは、「多様性の調和」という人類の最重要の課題に取り組んでおられる。
 日蓮大聖人は、ニューヨークの仏子のこの連帯を、温かく見守ってくださっているに違いない。
5  牧口先生「人材を見つけよ。人材は砂の中の金」
 牧口先生は言われていた。
 「人数ではない。少数でも、真実の同志を見いだしていく以外にない」と。
 牧口先生は、そうした人材を「砂の中の金」「泥の中の蓮華」、そして「ダイヤモンド」に譬えて、最大に大切にされていた。
 その意味で、ニューヨークは、「一騎当千の獅子」の集いでいきたい。
 「一人」が大切なのである。「一人を大切にする」――そこから一切が開けてくる。これが広宣流布の永遠の方程式である。
 ニューヨーク生まれの詩人ホイットマンは歌った。
6   わたしたちの一人一人は非常に貴重だ、
  わたしたちの一人一人は無限だ――わたしたちの一人一人は彼あるいは彼女の権利と共に地上にある、
  わたしたちの一人一人は大地の永遠の目的を承認したのだ、
  ここにあるわたしたち一人一人は、ここにあるいかなるものとも等しく神聖なのだ。
     (「世界万歳!」、『草の葉』富田碎花訳、談三文明社)
7  法華経は、最高の親孝行の教えである。
 大聖人は、先ほどの千日尼が、亡き父の追善供養をしようとする深い志をでられて、お手もとの大切な法華経十巻を送ってくださっている。
 たとえ、お父さんが信心していなくても、また亡くなっていても、必ずや、妙法で最高の親孝行を果たしていけることを確信していただきたい。
8  祈れば「希望」の旭日が昇る
 だれしも、さまざまな難問がある。悩みがある。しかし、大聖人は仰せである。
 「経王御前には・わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき
 ――経王御前には、禍も転じて、幸いとなるであろう。心して御信心を奮い起こし、この御本尊に祈念いたしなさい。いかなる事も成就しないわけがない――。
 大事なことは、「まず祈る」ことである。祈った瞬間から回転が始まる。闇が深ければ深いほど、あかつきは近い。祈りきった瞬間から、胸中に太陽が昇る。
 「ホープ(希望)!」。祈りこそが、希望の太陽である。悩みを感じるごとに、祈り、打開し、境涯を開いていく。これが、日蓮仏法の「煩悩即菩提」の軌道である。
 いわんや、リーダーとして、友のために悩む、広布のために悩む、人を救うために悩む――それ自体が、偉大な責任感の表れであり、菩薩の振る舞いである。
 地涌の菩薩に打ち勝てない苦難など、あるわけがない。ゆえに、何があろうと、高らかに妙法を唱えながら、一歩、また一歩と勝ち抜いていただきたい。
9  仏法は現当二世 現在の努力で未来を勝ち取れ
 大聖人は、ある在家の門下に仰せである。
 「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従つて起る是の故に一乗を説くなるべし
 ――その国の仏法は、あなたにおまかせいたします。仏種(成仏の種子)は、縁によって生じます。このゆえに(成仏の教えである)法華経を説くのです――。
 縁を結ぶことが大事である。縁を広げ、人間として友情を結んでいくこと、信頼を勝ち取っていくことから、すべてが始まる。
 仏法は「現当二世」(現在世と当来世〈未来世〉)のためにある。後ろを振り返る必要はない。前を向いて、進んでいく以外にない。現在の努力と忍耐で、未来の栄光を勝ち取っていく以外にない。
 ニューヨークのSGIの友の活躍も、いよいよ、これからである。再び、痛快なる勝利の喜びの劇を創っていただきたい。
10  牧口先生が、尊敬してやまなかったデューイ博士も、成長のなかに自由を見いだしている。
 すなわち、「われわれは、静止しているがゆえに自由であるのではなく、かってのわれわれとは違ったものになるがゆえに自由なのである」(魚津郁夫編『世界の思想家』20、平凡社)と。
 真の「自由人」とは、「成長し続ける人」であり、常に新しくなり続ける人なのである。
 その意味でも、ニュー「ニューヨーク」(新しいニューヨーク)万歳! と申し上げたい。
 また、お会いしましょう!

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