Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第九十七回本部幹部会、芸術部総会、女子… 楽しき広布の大遠征

1996.2.24 スピーチ(1995.5〜)(池田大作全集第86巻)

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24  「勧持品に云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈し」等云云日蓮此の経文に当れり汝等何ぞ此の経文に入らざる、「及び刀杖を加うる者」等云云、日蓮は此の経文を読めり汝等何ぞ此の経文を読まざる「常に大衆の中に在つて我等が過を毀らんと欲す」等云云、「国王大臣婆羅門居士に向つて」等云云、「悪口して顰蹙ひんしゅくし数数擯出せられん」数数とは度度なり日蓮擯出衆度流罪は二度なり
 ──法華経の勧持品には「諸の無智な人々が悪口を言い、罵る」とある。日蓮は、この経文の通りになっている。あなたたち(よこしまな非難をする者たち)は、なぜ、この経文の通りになっていないのか。また「刀や杖で暴力を加える者がいる」と。日蓮はこの経文を身で読んだのである。あなたたちは、なぜ、この経文を身で読まないのか。また「(悪侶らが)常に大衆の中で我ら(法華経の行者)を謗ろうとする」「国王、大臣、聖職者、社会的有力者に向かって(法華経の行者を誹謗する)」「悪口を言い、顔をしかめ(て迫害し)、(そのため法華経の行者は)しばしば追放される」などとある。「しばしば」とは、「たびたび」ということである。日蓮は何度も追放され、流罪は二度である──。
 ″法華経の行者は幾多の難にあうと、経典に、はっきり書いてあるではないか。私は、その通りの難を受けているのだから、正しいということではないか。非難する人間たちは、経文の通りになっていないではないか″──大聖人の厳しき御言葉である。
25  今、広宣流布のために、現実に大難にあい、御書を身読しているのは、我が創価学会だけである。
 創価学会だけが、法華経の通り、御書に仰せの通りの、誉れの大道を進んでいる。これこそ学会が、仏勅の団体である証なのである。
 かつて悪口を言われ、笑われた牧口先生、戸田先生の名は、今や世界に燦然と輝きわたっている。反対に、牧口先生、戸田先生を誹謗し、笑った人間たちは、その悪行だけが歴史に刻まれている。
 御書に示されている通りである。歴史の審判は厳しい。何より、仏法の因果律は、あまりにも厳粛である。このことを忘れないでいただきたいと申し上げ、本日のスピーチとさせていただきたい。
 長時間、ありがとう。日本全国の皆さま、本当にご苦労さま。皆、仲良く、朗らかに進んでいきましょう!

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