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日蓮大聖人・池田大作

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関西第1回青年部記念総会 時代は「信念の人」を待望

1995.5.21 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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15  「虚栄の社会」を変革、「本物」が光る人間社会へ
 ここで、ハイネの詩を紹介させていただきたい。
  鐘の音も坊主の祈りも、
  いともかしこき議会の布令も、
  カノン砲も百ポンド砲も、いまやまったく役には立たぬぞ、君たち!
  時代遅れの弁論の
  言葉の綾に効はない。
  三段論法でねずみはつかまらぬ、
  気取った詭弁なぞひょいと跳びこえる。
   (「放浪ねずみ」、生野幸吉・檜山哲彦編『ドイツ名詩選』所収、岩波文庫)
 ″一見、立派そうに見えて、危機の時には何の役にも立たないもの、見せかけだけのもの″をハイネは笑い、風刺している。
 たとえば「坊主の祈り」。民衆を見くだし、虚勢を張り、偉ぶって、信者に服従を強要するエセ聖職者がいる。
 そのような悪党の祈りが何の役に立つか。皆、同じ人間ではないか。
 また「時代遅れの弁論」や「気取った詭弁」など信じてはいけない。彼らは何もわかっていないのだ──と。
 大聖人は、″悪人にたぶらかされるな″″たぶらかされるな″と、繰り返し門下に教えておられる。
16  また、女子部の皆さまには、ハイネの次の詩を紹介したい。
  瞳はまるで碧いすみれ
  頬はまるで紅い薔薇ばら
  手はまるで白百合しらゆりの花。
  どの花も競うて咲いた。
  しかし──こころは腐っていた。
   (「瞳はまるで碧い菫」、『ハイネ詩集』〈片山敏彦訳〉所収、新潮文庫)
 外面を美しく飾っても、華やかに脚光を浴びても、心が腐っていては、何になろうか。
 何かふわふわとしていて、つかみどころがない、確かな価値観のない時代。今の日本には、本当の人格の輝きも、本当の幸福の実感も、本当の素晴らしい人生のドラマも少ない。薄っぺらな「虚栄の時代」ではないだろうか。
 この風潮を、一つ一つ改革し、着実に「本物の時代」をつくっているのが女子部の皆さまである。最も尊い方々なのである。
 有名でなかろうが、華やかでなかろうが、「心」の清らかな人が幸福である。その人が勝利者である。
 全宇宙の仏・菩薩が皆さま方を守りに守っている。絶対に、不幸になるわけがない。絶対に一人も不幸になってはならない。
 この確信で朗らかに生きていただきたい。
 きょうは、日曜日にもかかわらず、遠くからご苦労さま。本当にありがとう。また、お会いしましょう。(拍手)
 関西青年部、頑張れ!
 (京都平和講堂)

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