Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第5回中国総会、山口栄光総会 「草の根」闘争から勝利の歴史が

1994.11.26 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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1  学会員は「第一の人」「最勝の人」
 お元気な皆さまとお会いでき、きょうは本当にうれしい。ありがとう。(拍手)(名誉会長の山口訪問は十年ぶり)
 「会合は価値的に」と、ある大統領(チリのフレイ大統領)は言われている。短く切り上げる時は切り上げ、幹部の話も、聞いた人が「本当にその通りだ」と納得できる話でありたい。
 きょうは、まず中国地方ゆかりの富木常忍への御書を拝したい。
 富木家は、もともと因幡の国、現在の鳥取県の出身である。
 今回、鳥取、また、ここ山口の皆さまは、機関紙の拡大で全国をリードされた。おめでとう。(拍手)
2  ある年の十一月、日蓮大聖人は門下の富木常忍夫妻に励ましの御手紙を送られた。
 御手紙の中で、こう仰せである。
 「経に云く「法華最第一なり」と、又云く「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是の如し一切衆生の中に於て亦これ第一なり
 ──法華経には、「(諸経のなかで)法華経は最第一である」とある。また「よくこの法華経を受持する者もまた同様である。一切衆生のなかで、また第一である」と記されている──。
 世界には、ありとあらゆる人々がいる。地位のある人、ない人。財産のある人、ない人。頭のいい人、美しい人、顔の丸い人、四角い人(笑い)。千差万別のいろんな人がいる。
 種々の思想をもつ、その、さまざまな一切衆生のなかで、法華経を受持する人が第一に尊いと大聖人は仰せである。総じては皆さまのことである。
 特権階級が偉いのでもなければ、有名人が偉いのでもない。宇宙で最高の法を持つ皆さまこそ、「第一の人」なのである。御本仏の仰せに、絶対に間違いはない。(拍手)
 この仰せを確信すれば、だれをうらやむ必要もない。「誇り」がわいてくる。目が輝いてくる。堂々と胸を張って生き抜き、人々を救っていっていただきたい。(拍手)
3  また法華経には、妙法を修行する人について、「其の徳最勝にして、無量無辺ならん」(「分別功徳品」開結五二五㌻)と説かれている。
 今、妙法を正しく受持し、正しく修行している人は、だれか──学会員である。
 自行化他にわたって妙法を行じている人、広宣流布に戦っている人は、だれか──学会員しか断じてない。(拍手)その人に無量無辺の「徳」がある。最高の「有徳」の人である。
 学会員こそが「最第一」の人であり、「最勝」の人なのである。
 何があっても崩れない「永遠の幸福」の資格をもった人である。
 この尊い学会員をいじめれば、因果の理法によって、罰を受けるのは当然である。反対に、学会員を大切にする人は、大切にした分、功徳を受けていく。
4  福徳は須弥山の如く
 大聖人は、富木殿への御手紙を、こう続けておられる。
 「又云く「其の福復彼れに過ぐ」妙楽云く「若し悩乱する者は頭七分に破れ供養すること有らん者は福十号に過ぐ」伝教大師も「讃者は福を安明に積み謗者は罪を無間に開く」等云云
 ──また(法華経には)「(釈尊のことを一劫という長い間、無数の言葉でほめたたえるよりも、法華経を持つ人をほめたたえる)その福徳のほうがすぐれている」と。
 妙楽大師は「(法華経を持つ人を)悩まし乱す者があれば、頭が七つに破れ、(法華経を持つ人を)供養する者は、十種の尊称をもつ仏の身を供養するよりも大きな福徳を得る」と。
 伝教大師も「(法華経を弘める人を)賛嘆する者は、福徳を須弥山のように大きく積み、(法華経を持つ人を)誹謗する者は、無間地獄に堕ちる罪をつくる」と──。
 妙楽大師の言葉は、御本尊の左右の肩にも御認めである。
 このようにインド(釈尊)・中国(妙楽大師)・日本(伝教大師)の師の言葉を引いて、富木夫妻を力強く励まされている。
 大聖人は、御本仏であられるが、当時の人々の目には、凡夫僧としか映っていない。ゆえに、人々を納得させ、救うために、経釈を引いておられる。
 ″私が勝手に言うのではありませんよ。釈尊もこう言われている。妙楽大師も、伝教大師も、こう言われているではないか″と。
 この大慈悲を拝したい。
5  法華経を持つ人とは、別しては大聖人であられる。総じては、正法を弘める大聖人門下である。今は学会員のことである。
 きょうは山口の「栄光総会」であるが、文証の上から、理証の上から、そして現証の上から、仏意仏勅の団体・創価学会とともに生きゆく人が、「三世永遠の栄光」に包まれていくのである。(拍手)
 先ほど合唱団(山口栄光合唱団)が素晴らしい歌声を聞かせてくださった。
 その歌の中にも「君の心の中に 君の夢がある 君の心の中に 君の時がある……」(「ゴー! ゴー! 山口」、坂井克嘉作詞・作曲)とあった。
 すべて「自分」で決まる。全部、未来は「自分」の中にある。
6  厳たる慈愛の指導者たれ
 大聖人は、さらに仰せである。
 「尼ごぜんの御所労の御事我身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり、此の尼ごぜんは法華経の行者をやしなう事灯に油をへ木の根に土をかさぬるがごとし、願くは日月天其の命にかわり給へと申し候なり
 ──尼御前(富木常忍の夫人)のご病気のことは、私自身の身の上のことと思っておりますので、昼も夜も(夫人の健康を)諸天に祈っております。この尼御前は法華経の行者(日蓮大聖人)を、灯に油を添え、木の根に土をかぶせるように、養ってこられた方です。″願わくは、日天、月天よ、尼御前の命に代わって助けられよ″と祈っております──。
 病気の富木尼に対し、大聖人は、「私自身の身の上のことと思っております」と仰せである。
 何と慈愛深い御言葉であろうか。
 「願わくは、日天、月天よ、尼御前の命に代わって助けられよ」──真剣に信心してきた門下の悩み、苦しみに対し、大聖人はこのように祈ってくださっている。
 これが御本仏の御心である。
 今も、現実社会の中で広布に励む学会員の姿を、御本仏は見守られている。この大慈悲を確信していただきたい。
 同志のことを、どこまでも思いやり、その人のために真剣に祈っていく──これが仏法者である。学会の幹部も、この「心」でなくてはならない。
 私も、ここ山口をはじめ、中国の天地でともに戦った同志のことは、一生忘れない。(拍手)
 諸天を動かしていく祈り──日天、月天をも友とし、味方としていくのが「信心」である。
 信心の力で″磁石″のごとく、福徳を集め、一切を味方にできるのである。
 私どもが唱える題目の音声は、はるか全宇宙にまで響いている。強き信心があれば、全宇宙の諸天・諸仏がわれらを守る。ゆえに、小さなことで一喜一憂する必要は、まったくない。
 山口の同志の皆さまも、この大境涯で、「最第一の人生」を伸び伸びと、「最勝の人生」を堂々と、生き抜いていただきたい。(拍手)
7  「世界」を見つめていた松陰
 明治維新の揺籃の天地・山口。山口といえば、やはり吉田松陰である。
 松陰の思想については、今日、さまざまな見方があるが、信念に殉じ、維新という革命の原動力になった点で、やはり偉い人物と言えよう。
 戸田先生も、よく彼の話をされた。
 彼の心は、小さな場所にとらわれなかった。「世界」を考えていた。
 彼は、師匠の佐久間象山しょうざん(「ぞうざん」とも)に、決意を込めて詩を詠んだ。偉大な人物には、必ず師匠がいる。
 彼は、謳う。
 「翼を展べ飛んで雲を凌げば 蒼々として秋旻しゅうびん高し 下瞰かかんすれば一塊の土 處として比隣ひりんならざるはなし」(山口県教育会編纂『吉田松陰全集』2所収、大和書房)
 ──翼を広げて飛び、雲を越えてゆけば、青く、また青く、秋空は高い。下界を眺めれば、世界は、ひとかたまりの土である。いずこも皆、隣同士である──。
8  ″早く日本を開かれた国にしよう″″自ら世界に出て見聞を広めたい″──松陰は、そう計画する。
 しかし、計画は、ことごとく挫折し、投獄される。
 牢獄(野山獄)の中で、松陰は悩み、考えた。彼は同じく投獄されていた門下にあてて書いた。(安政六年四月十四日、野村和作あての手紙。同全集8所収、以下、引用は同書から)
 「政府を相手にしたのが、一生の誤りであった。今後は必ず民衆へと考えを変えて、もう一回やってみよう。五年や十年、獄に繋がれても、私はまだ、たったの四十歳だ」
 (「政府を相手にしたが一生の誤りなり。此の後は屹と草莽そうもう(=民間・在野の人々)と案をかへて今一手段遣つて見よう。然れば五年は十年けいせられても吾れ尚ほ四十歳のみ」〈傍点は原文、以下同じ〉)
 手紙を書いたのは松陰が満二十九歳の時である。(処刑される半年前)
 民衆──そこに彼は焦点を定めた。
9  さらに、こう続く。
 「あなたはさらに若い。くびれ死にさえ覚悟した今の志を生涯、忘れなければ、事は必ず達成されるであろう」
 (「足下さらにわかし。只今の縊死いし(くびれ死に)せようとまで思ひたる志を終身忘れさへせねば事必ず成るべし」
 野村はこの時、十八歳。なお「志」とは、藩主を討幕派として旗揚げさせようとした「伏見要駕策」のこと)
 また別の門下には「必ず事をやるには民衆の中でなければ人物はいない」と。
 (安政六年三月二十日、入江杉蔵あて。「是非事をやるには草莽そうもうでなければ人物なし」)
 その通りである。無名の人のなかに偉大な人物がいる。信頼できる勇者がいる。
 友人への手紙にも松陰は記している。
 「今の幕府も諸侯も、もはや酔っぱらいも同然だから救いようがない。民衆の中から立ち上がる人を望む以外に頼みはない」
 (安政六年四月七日、北山安世あて。「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起くっきの人を望む外頼みなし」)
 信念もなく、人格もない、そんな政府や指導者は、まったくあてにできない。民衆しかない──松陰の叫びは、現代にも通じよう。
 山口が生んだ偉大な先人の言を、私はそのまま皆さまに伝えておきたい。(拍手)
10  「草の根の勝利」が「学会の勝利」「永遠の勝利」
 民衆とともに進んだところが勝つ。「草の根」の闘争を貫いたところが勝つ。
 他のだれかに頼ったり、油断したり、民衆の力を結集しないところは負ける。これは歴史が証明している。
 その最先端をいっているのが学会である。先日も、ある海外の方が、「学会はすごいですね。これだけ迫害されてもびくともしない。民衆の組織だからですね」と語っておられた。
 「草の根の戦い」は、現実に根を張っているゆえに地味である。大変である。つらいことや、ときには、つまらなく思うこともあるかもしれない。
 しかし、「草の根」の戦いが一番強く、一番尊いのである。これをやり抜いているから学会は強い。学会は負けない。
 「民衆に根ざす」「民衆を大事にする」──ここにしか永遠の勝利はないことを、きょうは強く語っておきたい。
 あの昭和三十一年(一九五六年)の山口開拓指導の勝利も、まさにその点にあった。
 当時、私は二十八歳。この会場にも二十八歳の方がおられると思う。
 すぐさま第一線の友の中に飛び込んでいった。まだ学会員もわずかであり、家族の反対の中で信心されている方も少なくなかった。
 私は皆さまと一緒に勤行した。一緒に御書を学び、一緒に弘教に励み、一緒に歴史を刻んでいった。
 皆、仏子である。上下などない。あってはならない。
 社会でも、立場が上になると、人間まで偉くなったように錯覚し、人を見くだす人がいる。とくに日本に、そうした封建的な傾向が強いようだ。
 しかし学会は、そうではない。人間と人間、同志と同志の、美しき共和の世界なのである。
11  山口では、数カ月間で四千世帯へと弘教を成し遂げた。(昭和三十一年の十月、十一月、翌年の一月に名誉会長が来県。四百数十世帯だった山口が十倍に飛躍した)
 ″日本一″の拡大であった。この会場にも、ともに戦った懐かしい方々の顔が見える。
 日本一──蒲田でも、文京でも、札幌の夏季折伏でも、関西でも、私は″日本一″の金字塔を打ち立てた。渾身の祈りで、行動で、新しい歴史を切り開いた。
12  「民衆しかない 民衆よ立て!」
 「草莽崛起そうもうくっき」を松陰は目指した。すなわち「民衆よ立ち上がれ」との合言葉であった。
 しかし、志半ばで牢獄に散った。三十歳で処刑(安政の大獄)──今から百三十五年前(一八五九年=安政六年)の十一月であった。(旧暦の十月二十七日)
 しかし松陰には、理想を託す門下がいた。松陰は処刑の前日、弟子への長文の遺言を書きとどめた。その名も「留魂録」。私も若き日に読んだ書である。
13  その中にこうある。
 「今日のことについては、同志の諸士よ、(たとえば)戦に敗れたあとに、傷ついて残った同志にそのようすを問いただすように、厳しくそのいきさつを追究し、後事に備えてほしい」
 (「今日の事、同志の諸士、戦敗の餘、傷残の同士を問訊する如くすべし」)
 何が失敗だったのか。だれに責任があるのか。どうすれば、よかったのか。すべてを明らかにし、残すのだ。
 次の戦いには、それらに十分注意し、再び失敗せぬように戦え、そして勝て──。
 死を目前にしてなお、戦いの気迫が、いよいよ燃えさかっていた。
 「一度失敗したからといって、たちまち挫折してしまうようでは、勇士とはいえないではないか。諸君よ、切に頼む、切に頼むぞ」
 (「一敗乃ち挫折する、豈に勇士の事ならんや。切に嘱す、切に嘱す」)
 こう書き残し、翌日、松陰は死刑となった。
 師匠の痛切な叫びを胸に、松下村塾で学んだ弟子たちは陸続と立ち上がった。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、品川弥二郎──。
14  身分など問わない。民衆の力を結集する──松陰の構想を、高杉晋作は民衆部隊である「奇兵隊」として結実させた。いわば師匠の仇討ちでもあった。きょうも合唱団の皆さまが「花の奇兵隊」の歌を披露してくださった。どうもありがとう!(拍手)
 私も戸田先生の心を心として、世界に広布の「民衆部隊」をつくった。平和の「奇兵隊」として戦ってきた。
 奇兵隊については、かつてスピーチしているので(一九八六年十月十九日、社会部・女子部の合同研修会)、きょうは略したい。
 結論的に申し上げれば、この奇兵隊が多くの人々から支持され、明治維新を開く力の一つとなっていったのである。
15  師弟の誓いの地に、今、再びの金字塔を!
 戸田先生も、山口を舞台とした明治維新の「夜明け前」のドラマを、よく語ってくださった。
 ″断じて屈するな。我が弟子よ、頼むぞ″──松陰の言葉は、戸田先生の門下への思いに通じる。
 人間、屈したら終わりである。精神なき動物と同じである。最後の最後まで、正義の勇者として胸を張って生き抜かねばならない。
 「頼むぞ」──戸田先生は言われた。ゆえに私は立ち上がった。先生の教えのままに走り抜いた。
 全身全霊で先生の偉大さを宣揚し、証明してきた。先生は、今や「世界の戸田先生」となられたと確信している。(拍手)
16  いよいよ山口の大発展の時である。新たな開幕である。きょう、お集まりの皆さまをはじめ、全同志の力で、理想的な「世界の山口」にしてまいりたい。(賛同の拍手)
 かつて山口は明治の革命の源流であった。今度は壮大なる平和への「世界革命」の原動力となっていただきたい。(拍手)
 そして盤石なる「中国の時代」を、ともどもに、つくりゆきたいと申し上げ、スピーチを結びたい。きょうは本当におめでとう!
 (山口文化会館)

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