Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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北海道研修道場(別海)での語らい 友好の「北のシルクロード」を

1994.8.16 スピーチ(1994.8〜)(池田大作全集第85巻)

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11  大聖人は門下の真心を「ただ事にあらず」と
 大聖人は、ある人が白米一俵等を御供養したときも、「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」と仰せである。
 「あなたの心がこもったこの白米は、(たんなる)白米ではありません。あなたの一番大切なもの、すなわち命そのものであると私は受けとめております」
 そういう御心であろうか。
 また、あるお手紙では、門下への感謝をこう述べられている。
 「ただ事にはあらず、教主釈尊の御すすめか・将又はたまた過去宿習の御催おんもよおしか、方方紙上に尽し難し」──(こうした、あなたの真心は)ただごとではありません。教主釈尊がそうするよう、すすめられたのでしょうか。それとも過去の仏縁がそうさせたのでしょうか。申し上げたいことが、いろいろあり、紙に書きつくせないほどです──。
 門下の「真心」を、「ただ事にはあらず」と。
 決して、当たり前のことではない。釈尊が、そうさせておられるのか。過去以来、すごい仏縁のある方なのか。この上ない尊いことである──と、たたえておられる。
 こうした大聖人の御姿を拝し、私は「真心に真心で応える」ことに徹してきた。徹し抜いてきた。今も徹している。
 同志の喜び──それだけを願ってきた。同志が胸を張って前進できる──そのために戦ってきた。
 創価学会、SGI(創価学会インターナショナル)の大発展の力は、「心と心」の結合にある。結合させるための人しれぬ日々の辛労にあった。友の「心」がこもる紙一枚、鉛筆一本、私は無駄にしたことはないつもりである。仏法のための友の行動を、幹部は絶対に当たり前のように思ってはならない。
12  「心」を結ぶのが仏法、「心」を通わせるのが仏法である。
 その反対が「魔」である。官僚主義。組織主義。機械のような、心の通わない傲慢さが、民衆を不幸にする。
 ロシアの社会主義を批判して、ドストエフスキーは言った。
 「生きた魂は生命を要求する、生きた魂は機械学に従わない」(『罪と罰』米川正夫訳、『世界文学全集』17、河出書房新社)
 口では「人民のために」と言いながら、具体的な「一人の人民」を大切にしない。″心を込めない″。そうした組織主義の危険を、彼はいち早く洞察していたのである。
 「一人の人を大切に」「一人の心を大切に」──そうでなければ、組織に″人間″が押しつぶされてしまう。
 ゆえに指導者は「生きた精神」をもって、人々の心にだれよりも敏感に、だれよりも真剣に、こまやかに応える──そういう「ハートのある人」でなければならない。
13  草創の勇者の一念「広布の捨て石になりたい」
 「無名」──広宣流布は、多くの名もなき庶民の戦いこそが主役である。
 草創の歴史を開いた広布の勇将の一人は、生前、語っていた。「どんな名声を得るよりも、広布の捨て石になりたい」と。
 また、その言葉通り、折伏が大好きで、最後まで弘教に歩く日々であった。そして、多くの人に慕われ、勝利の姿で、見事な人生を飾っている。
 信心は役職ではない。厳として広布に向かい、強盛に祈りゆく人が、立派な人間なのである。
 生命は永遠である。広布にひたむきに走る、その日々は黄金の実りとなって、我が生命を三世に飾っていく。広布を祈り、戦う仏子を大聖人は最大にたたえ、護ってくださる。
 それを確信すれば、限りない勇気がわく。希望がわく。知恵がわく。何があろうと朗らかに生きられる。
 別海をはじめ道東の皆さまには、大変にお世話になり、感謝申し上げたい。
 北海道には、開けゆく偉大な未来が広がっている。心を合わせ、再び「大勝利」の歴史を一緒につくっていっていただきたい。

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