Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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各部協議会での語らい 民衆を賢明に、知恵で幸福に

1993.12.8 スピーチ(1993.12〜)(池田大作全集第84巻)

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8  すべての民衆に「いちばん幸福な人生」を
 同じことが牧口先生の入信後に起こった。ここが大事なところである。
 「民衆を幸福にする」知恵の究極として、牧口先生は、日蓮大聖人の仏法を大歓喜をもって受持された。
 ところが、大聖人の仏法を伝える日蓮正宗でも、「信仰」と「生活」はバラバラであった。
 僧侶は実生活と無縁の、受け売りだけの説法をし、きわめて権威主義的であった。一方、信徒は僧に服従し、信徒の生活に信仰はまったく躍動していなかった。
 学問の世界で「学問と生活の一体化」を目指されたのと同じく、牧口先生は「信仰と生活の一体化」のために立たれた。
 「大善生活」の「実験証明」を展開されたのである。そして「経済学者が必ずしも金持ちでないように、法華経の『学者』必ずしも幸福ではない」(「大善生活実証録」同全集第十巻)と指摘し、生活の中に法華経を行じる「行者」でなければならない、と宗門を批判された。
 最後は正しき「行者」として、宗門が迎合した軍部権力に弾圧され、殉教なされたのである──。
 このように牧口先生の人生は、「知恵を広く民衆に開くこと」「民衆を高い知恵へと導くこと」にささげられた。
 「知恵の民衆化」「民衆の知恵化」──それも全部、「すべての子ども、すべての人々を幸福にしたい」との祈りから生まれた目標であった。本当に偉大な先生であられた。
 その、あまりにも「民主的」な思想は、死後半世紀の今になって、ようやく理解されつつある。
 (一例として、岩波講座『宗教と科学』シリーズの第五巻『宗教と社会科学』〈一九九二年十二月刊〉では、東京大学の島薗進氏が「生活知と近代宗教運動──牧口常三郎の教育思想と信仰──」と題して執筆している。そこでは、牧口会長の「生活に根差した知」は、今なお重要な課題であるとされ、民衆自身が学びあい、高めあい、自立していく「市民の学校」の運動が、創価学会によって発展していくことに期待が寄せられている)
9  「知恵を民衆の手に取り戻せ!」「信仰を民衆の胸に取り戻せ!」
 牧口先生の叫びは、日蓮大聖人が戦われた「宗教革命」の御精神と合致していた。そして「創価ルネサンス」の今、この願いは、いよいよ本格的に花開こうとしている。
 「愚かな民衆」が指導者に盲従するのではなく、指導者が「賢明な民衆」に奉仕していく。民衆が奉仕させていく。そこにしか、人類の幸福はない。
 学問も教育も宗教も政治も経済も、すべてを「民衆の幸福」のために再編成していく。この逆転劇が「創価革命」である。
10  思えば、牧口先生が最後を過ごされたのは、板の間と合わせて三畳ほどの独房であった。しかも畳は硬く不潔であった。寒さは高齢の身に厳しく、長年、ひざの冷える持病をもたれた体には、とくにこたえた。指なども凍傷にかかった。
 食事も、戦局が厳しくなるにつれて、麦飯に大豆や、アワ、トウモロコシ、コウリャンがまじったものになり、それに塩湯のようなミソ汁。おかずは″茶がら″の時もあった。しかも不規則であった。
 こうしたなか、牧口先生は、泰然と朝夕、勤行され、御書を拝読され、広宣流布と会員の幸福を祈り続けて、一九四四年十一月十八日に亡くなられた。
 その小さな、しかし崇高な「独房」から、五十回忌の今年、壮麗な「東京牧口記念会館」が誕生したのである。また日本、世界の各会館が生まれ、会館に集う幸福の仏子が陸続と生まれたのである。
 「仏法は勝負」である。今、小さなことのように見えても、師弟の道に連なり、時に適った信心を実践すれば、必ず、時とともに大きな歴史を生む。自他ともに、大いなる福徳あふれゆく境涯になっていく。
 この信心の不思議さ、「妙」なる「法」の素晴らしさを強調し、きょうの語らいとしたい。
 (東京・新宿区内)

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