Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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広布四〇周年記念中部祝賀大総会 晴れ晴れと「宝の境涯」へ共に

1993.11.21 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

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23  「直結」については、大聖人御自身が、御命じになっておられる。
 たとえば、日興上人への口伝書である御義口伝には、こう仰せである。
 「日蓮に共する時は宝処に至る可し不共ならば阿鼻大城に堕つ可し
 ──(法華経の化城喩品に「皆共に宝処に至らん」とある。宝処とは霊山すなわち成仏の境涯である)そして「共に」とは、「日蓮と共に」行く時は、必ず宝処に至る(成仏する)。「日蓮と共に」でない時は、必ず阿鼻地獄に堕ちる──。
 このように、大聖人御自身が、「日蓮と共に」「日蓮に直結せよ」と強く教えておられる。「日顕と共に」とは言われていない。
 それどころか、直結せず「日蓮と共に」でない時は(「不共ならば」)、必ず堕地獄であると断じておられる。
 そもそも、大聖人は、人法一箇の御本尊を遺され、「これを拝みなさい」と教えられた。このこと自体、「大聖人に直結せよ」ということにほかならない。極めて簡単な道理である。
 法主をはじめ指導者の使命は、この「大聖人直結」への正しき「信心」を行じ、人にも教えることのはずである。「信心」をなくせば、ただ有害なだけである。
 「大聖人直結」を否定する宗門と法華講は、たとえ形だけ御本尊を拝んでも、心は大聖人に違背しているゆえに、功徳どころか罰しか出ない。
 これが、御書を拝した、大聖人の御金言のうえからの結論である。
24  「仲良き」人生は豊かで幸福
 中部の皆さまが、ますます「希望に燃えて」「明るく」「福運を積んで」、世界一の中部となられんことを祈りたい。そのためにも、「仲良く」進んでいただきたい。どうせ生きるならば、仲良く生きたほうが得である。
 信頼できる人、頼れる人、何でも相談できる人──そういう人をもち、自分もそういう人になる。その人は幸福である。
 一人でいれば、自由で、気ままなようであるが、結局は、寂しい。孤独地獄というか、わびしい、寒々とした生活になってしまう。
 人間は「人」と「人」の間と書く。人と人との信頼の絆を、励ましあいの心を育んでこそ、人生は豊かになる。自分も楽しい。仲良き組織は、福運もついてくる。
 それでは、明年の5・3記念「中部二十一世紀大文化祭」を楽しみに、これで祝賀のスピーチを終わらせていただきたい。文化祭には、海外・日本の代表も参加される予定である。よろしくお願い申し上げたい。
 きょうは本当におめでとう!!

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