Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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アメリカSGIニューイングランド・ルネ… 「皆が楽しい」世界を

1993.9.26 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

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1  和楽こそ目的
 「和楽」のルネサンス会議、おめでとう。合唱も、演奏も、参加の皆さまも、「和楽」の姿そのもので、本当に素晴らしい。
 三月には、日程の都合で、アメリカ東部の皆さまにお会いできなかった。改めて、おわび申し上げるとともに、きょうお会いできたことを心から喜びたい。
 「アメリカ・ルネサンスの風を、ここニューイングランドの地より起こしたい」──哲人ソローは、こう願った。
 その思いの通り、二十一世紀の「ルネサンスの風」も、皆さまのこの地から、全米へ、世界へ、わき起こっていくにちがいない。
2  「和楽」が一番、幸せである。「和楽」が一番大切である。一家にとっても、組織にとっても、社会にとっても、「和楽」があるところ、幸福がある。
 「皆が楽しい」──こうなるために一切の努力はある。
 日蓮大聖人は、妙法は「歓喜の中の大歓喜」と仰せである。この歓喜と和楽を全人類に広げるのが、広宣流布なのである。
 差別など微塵もあってはならない。人間として、すべて平等である。妙法のもと、幹部も一会員も、全部、平等である。それが大聖人の仏法であり、「創価家族」の世界である。
 今、幹部が一段高い壇上にいるのは、皆さまよりも偉いからではない。単に会場からよく見えるためにすぎない。皆、同志として、友として、「異体同心」でいくのが、本当の大聖人の仏法の世界である。
3  そのために、「たがいを尊敬」していただきたい。
 この地は、世界一の知性の都である。東部には、社会的地位の高い人も多い。
 そういう地域では、一般論として、「自分はすごいのだ」と思い、他の人を下に見る傾向の人が出る場合がある。それでは「和楽」は、つくれない。
 人を尊敬する心、信頼する心──そこから和楽は生まれる。
 醜い心で和楽を壊す人がいる。「皆が楽しんでいる」その姿を妬み、破壊しようとする人がいる。その人は不幸である。
 心の病気というか、人が楽しんでいるのを壊して喜ぼうとする。日顕がその代表であるが、妙法の「大歓喜の世界」の対極の世界である。
 真の仏法者は、いつでも「和楽」の方向へ、皆が楽しめる方向へ、だれもが幸せになれる方向へと、心をくだき、率先してリードしていく。
 一家も和楽であっていただきたい。
 もちろん、ときには奥さんがハズバンド(夫)を叱ったり、子供がママから叱られたり──それは当然あると思うし、久遠元初以来の不変のドラマである。また、より盤石な和楽へ、一歩前進するための姿であろう。
 要は、根底の信頼と愛情、そして「和楽にしていこう」という、心の通い合いを大切にしてほしいのである。
 アメリカの東部は知性第一、文化第一、芸術第一の地である。そのうえで、すべてにわたって「和楽第一」をモットーに進んでいただきたい。
4  希望こそ財産
 第二に、「希望」に生きる人生であっていただきたい。
 希望ある人には、前進がある。希望ある人は、生き生きとしている。いつも、みずみずしい。
 もっと健康になろう、もっと裕福になろう、もっと、きれいになろう。それも希望である。
 わが子の立派な成長を願う。わが妻、我が夫の健康と長寿を祈る。そして、一生懸命に働き、もっと功徳を受けて、二人で世界中を旅行しよう──たとえば、こう希望を語り合う。そうした一家は幸福である。
 きょうの会合には、パナマ、ペルー、香港、韓国、日本の同志も参加しているが、将来は、それらの国へ行ってみよう、そして妙法の素晴らしさを語り合ってこよう──これも立派な「希望」である。
5  そして信仰者は、自分や一家のことだけではなく、友の幸せが、何よりの希望である。
 「あの人を幸福にしよう」「皆に喜びを与えよう」──一セントも、もらうわけではないのに、ひねくれた人もいっぱい、いるのに、人々の幸せを願って行動していく。これほど崇高な人生もない。
 反対に、すがすがしい希望の息吹もなく、成長もなく、いばってばかりいる幹部は、故障した車のようなものである。動かないトラックが道をふさいでいれば、後に続く車も進めない。成長しないリーダーは、後輩の前進の邪魔になってしまう。
6  生涯、希望に生きる人生でありたい。
 生きているかぎり、たくさんの希望をもって生きたい。たくさんの希望を実現させたい。たくさんの希望を与えていきたい。皆と、無限の希望を語り合い、素晴らしい目標の峰を指さして進みたい。
 信仰者には行き詰まりはない。どんな問題も、全部打開し、永遠に、より大いなる希望に向かっていける。最高に素晴らしい人生なのである。
 希望は″ただ(無料)″である。それでいて、人生の最高の″財産″である。
 この宝を一生涯、胸中に抱きしめ前進していただきたい。それ自体、勝利の人生であり、栄光の人生である。
7  生活こそ仏法証明の舞台
 第三に「生活」を大切にしていただきたい。
 信心は即、生活に表れる。生活は即、信心の証明の舞台である。人間としての本当の勝利も、幸福も、「生活」の地道な一歩一歩の上に築かれる。
 太陽は毎日、黙々とわが軌道を進む。きょうも、あすも、休むことなく、はつらつと昇り、天地を照らし、荘厳に沈む。そのリズムを崩さない。
 生活も太陽のごとく、単調のようで、これほど偉大な営みはない。
 赫々たる「生活の勝利」。それこそが「信心の勝利」なのである。
8  そのひとつの証として、どうか裕福になっていただきたい。「心の財」を積み、福運を積みながら、経済の面でも盤石になっていただきたい。
 世界的に不景気であるが、うんと知恵を働かせ、努力し、人々がうらやむような、「安心」の生活をつくっていただきたい。お金がすべてではないが、お金がなければタクシーにも乗れない。「歩いたほうが体にいい」という人もいるかもしれないが、国外にまで歩いていくわけにもいかない。
 社会人である以上、経済力は、幸福の大切な要素である。サイフにお金がなくとも、世の中には、いくらでもお金は流れている。こっちに入ってこないだけである。福運によって、(お金が)入ってくる穴をあければ、決して不自由することはない──戸田先生は、そう指導されていた。
9  健康こそ勝利
 第四に「健康第一」で長生きをしていただきたい。自分自身の「身の財」を、あらゆる工夫で守り、いつまでも、はつらつと活躍できるよう努力していただきたい。
 夜食をひかえ、栄養のバランスに気をつける。また疲れたら、よく休むことである。疲れをためてはいけない。
 勤行も、日々、すがすがしく生きるための源泉である。心身の「健康」のためである。それなのに、勤行でくたびれ果てたり、無理な実践をして、調子を崩したのでは、何のための勤行かわからない。
 いつも申し上げているように、場合によっては、方便品・自我偈の勤行だけでも、唱題だけでも、計り知れない大功徳がある。
 大切なことは、勤行をして、さわやかになった、元気になった、生命力がわいてきた──そういう勤行を続けることである。
 そのうえで、自分自身の知恵と努力で、全員が「健康で長寿」の人生を満喫していっていただきたい。
 賢明な「知恵」こそが仏法者の証なのである。
10  人格こそ信仰者の光
 最後に良識ゆたかな「人格」の人であっていただきたい。
 立派な人格の人、立派な市民、立派な家庭人、それが信仰者の正しい目標である。
 信仰者といっても、唱題を根本としていること以外は、決して特別の人間になるわけではない。また特別の人間などいるはずがない。特別なような格好を見せるのは、狂信徒である。SGI(創価学会インタナショナル)には、絶対にそういう人はあってはならない。
 人間は人間である。人間以上になれるはずがない。ゆえに、人間としての自分を磨くのが信仰の本義である。
 とくに、リーダーとして、何か偉くなったように錯覚し、皆に号令したり、いばったり、抑えつけたり、そういう転倒があってはならない。
11  皆、幸福になるために信仰したのである。また皆を幸福にするための組織である。苦しむための信仰ではなく、苦しむための組織ではない。
 「仏法は道理」である。また人間主義である。「最高の人間味」をもって、あたたかく、仲の良い、和楽の東部をつくっていただきたい。
 国連でも各国政府でも、重要な会議が行われている。それはそれとして、私たちの会議は、民衆の代表による、また妙法の賢人による歴史的な会議である。
 その「ルネサンス会議」の大成功をお祝いし、皆さまの栄光と勝利をお祈りして、ここに謹んで会議の閉会を宣言いたします。またお会いしましょう!

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